2006の最近のブログ記事
ギター、オルガン、ドラムというベースレスのトリオ。やっばりベースは欲しい。ドラムが激しくて頭クラクラするときにベースのきちんとしたリズムに頼ることができない。ディジョネットのドラムは相変わらず激しく端正にプッシュされてるが、ジョンスコがなあ。
最初の印象よりは随分と楽しかったのは認めるが、それも一瞬。オルガンも楽しいがそれも一瞬。なまじ耳慣れたリズムが叩かれる中、全くリハビリが進んでいない証明となってしまった感じがする。ちょい退屈なんよね。2枚組だもんなあ。ここに書くまでに5回は聞いた。10時間は費やした。それでも響かんもんは響かん。ああ、道は遠い。
こう、なんか、突き抜けないんだよね。泣かずに感心してしまうっていうか。まだ4日目。リハビリが進むともう少し見えてくるんだろうとは思うけど、とりあえず今はこんな感じすね。
ワガハイも勿論ジャズばっかり聞いている訳ではなく、ロックもブルースも歌謡曲も聴くのである。なにより型に嵌められる事が嫌いだ。一番大事なものは俺の自由だ。(忌野清志郎©)
その中でジャズと並んで大きな柱がYMOである。特にYMOのミニマル性が大好きであるのだ。つまり繰り返しだ。じっくりじっくり繰り返しながら徐々にしみ込んでくるような音楽が大好きだ。実生活でもそうありたいもんである。
しかし、こうしたミニマル・ミュージックが果たしてジャズであることができるのであろうか。最も遠い二つのものをくっつけているような気がする。ジャズの定義とはなんなのか。おおっ。本格的な話題だ。スイングしなけりゃ意味がないってことなら、確かにスイングはしておる。だけど、アドリブはどこにある? と思ってたらしぶーいアドリブがしっかり出てきた。
でも考えるとジャズのコード循環とミニマルがどーのなんて、誰も何も言ってない。実は同根だとか強引に言えば言えなくもない、のなら新たな視点のジャズ論だな。今はとても考えられんが。うむ。完全に自分の守備範囲を超えてきた。
ワガハイがジャズを愛する理由の一つに、一種の催眠効果というのがある。強烈にワガママなので、普通の催眠術には掛からない自信があるが、よくできたジャズの中に入り込んでフラフラするのは大好きなのだ。このCDの1時間も、確かにニック・ベルチェの世界に入り込んでフラフラさせて貰いました。
今までの中では一番のお気に入り。
2006年度、ミュージックマガジン選定3位のATOMICのHAPPY NEW EARS!を聞きました。なんで2位がトんだのかというと、単なる間違いで先に聞いてしまったのであった。
で、ですな。ジャズというものは、ある程度耳を鍛えなければ判別つかん、という困った種類の音楽でもあります。勿論、分からん、というのは「良くない」「嫌い」の湾曲表現でもあったりするのですが、ジャズの場合は実際に「分からん」という場合が往々にしてあります。
これでもか〜、という何でもアリというかハチャメチャな音の洪水は、確かに迫力満点で飽きさせず、疲れる音こそ本当のジャズ、というワタクシの信念からするとかなりいいレベルであるのだろうと自分の基準に照らして判断はするのですが、事実上のジャズ再入門者にこれはかなりキツい。
こういう場合は、最新の音そのものを楽しみながら聞く、という事でお茶を濁したのであった。しっかし、本当に疲れました。振り回される快感、というのも確かにジャズ、特にフリー系列のジャズには大いにアリなんだけどね。