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0710232.jpg  邦題は、戦死者たちのバラッド、チャーリー・ヘイデンとリベレーション・ミュージック・オーケストラ。1983年度脇谷浩昭さん選定ベスト10、1983年12月号で中村とうよう氏8点。どうでもいいが「さん」「氏」と使い分けなってないな。全然意味なく、雰囲気で。統一しないとなあ。
 で、このアルバム、邦題をみてもそのものだし、反戦というものを強く訴えているものらしい。だけど、音聞くと、そんな重たい雰囲気は一切ない。エルサルバドルの曲とか反戦民謡歌とか採り上げているとのことだが、特に押しつけがましいこともなく、あるのはシンプルで聴きやすいテーマとアンサンブル。タイトルがなけりゃきっと反戦とかよく分からないと思う。んでも、曲とか知ってる人、追求する人にはきっちりと主張が分かる、という理想的なアルバムになっていると思う。
 ジャズの定義は色々とあろう。ワタクシの考える一つに、ようするに主張である、ということがある。要はミュージシャンの発言だ。楽器に託して言いたいことを言うのである。で、何が言いたいことなのかというと、これが歌詞のない音楽の楽しさ愉快さ自由さなんだけど、それは聞き手が決めていいのである。f(^^;)
 楽しい悲しい愉快死にたいもうダメだ。何でもいいし、聴くたびに変わってもいいし、どーでもいい。だけど、時にはミュージジャンが必死の思いで限定させようとする時がある。ここでの反戦なんかその最たるものだろうし、基本的には黒人音楽であるジャズは、人種差別の問題を常に背負っているとも言える。確かに自由に聴いてもいいとはいえ、戦争賛美や人種差別主義を嗅ぎ取るのは、あまりにあまりであろうね。
 一時、今となっては全く無理だが、学生時代は、日本で出版されているジャズの書籍は全部読んだと言えるぐらい本を読んだ。ジャズの出自がそうさせるのも仕方ない面もあるが、左翼の方々の思い入れたっぷりの文章にヘキエキした。
 また出版社側も、こうした風潮を積極的に利用していた。一例としてこういうものがある。原書タイトル「THE JAZZ SCENE」が、邦題「抗議としてのジャズ」になる。いつ抗議が始まるのか読み進めても、なるほど、全くそんな話出てこない訳である。特にそれを期待していた訳ではないんだが、タイトルに偽り大ありだよ。まあ、中身はそんな話が出てこなかった故に結構いい本である、という逆説的な名著なんだけどね。
 特にワタクシの大好きなフリー・ジャズは、かなり押しつけがましい。というか、押しつけがましくないフリー・ジャズはない。だから、かえって思い入れたっぷりという聞き手と合致する。タマゴが先か鶏が先かで、押しつけがましさのオンパレードで辟易してた。
 ところが、ここでは、一切そんなものはない。大編成でいい編曲のジャズだ。そして、いい音楽を聴いた時に必ず起こってくるものとして、興味がどんどん湧いてきて調べて行く。そうすると、反戦という主張に気がつく。まさに主張したいことがある音楽の理想的な展開になる。素晴らしい。
 北風と太陽の話を思い出すな。
 ライナーを読むと、15年前にも同じコンセプトのアルバムを発表したが、圧力がかかり、ミュージシャンの思い通りのアルバムにはならなかったらしい。皆泣いて抗議したという。そして、今回はそのようなことがないように、名門レーベルECMを選び、納得の行く作品に仕上げたと。うむ。周辺のドラマも完璧やん。これで、その15年前の作品も聴きたくなって、早速注文を入れたと。すっかりのせられた感もあるが、いい音楽にはどんどんのせられましょう。

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