shishi.jpg めっちゃくちゃはまってしまった、永見緋太郎の事件簿シリーズ。相変わらずジャズシーンは素晴らしく、人物描写は面白く、音楽は聞こえてくる。実在のミュージシャンの本当のエピソードを基に書いた話もあって面白い。 ジャズメンなんか、こんな話いっぱいありそうで、いくらでも話書けそうな気がするんだけどなあ。とはいえ、あとがきによると、一旦この本でシリーズは終了。 ああ。寂しい。この寂しさは、筒井康隆の富豪刑事が終わった時や古畑任三郎が終わった時の寂しさだ。なんとしても続けてほしい。まだまだ足りん。 とはいえ、またジャズに関しては違うシリーズを書いてるという話なのでそちらにも期待して、書籍が発売されたら、きちんと購入し読んでみたいと思うのであった。それにしても、特定の音恐怖症って本当にあるのであろうか。
karai.jpg 続けて田中啓文さんの本。シリーズものに特有の、主人公にだんだん思い入れが入ってきて、めちゃくちゃ面白くなってきた。
それにしてもやっぱり読む人はちゃんと読んでるな~、と思ったのは、山田正紀さんの解説。収録の「渋い夢」について書いてる。「渋い夢」はかなり強引なトリックがあるけど、きちんと読ませる作品になっていて「日本推理作家協会賞」を受賞している。それは読む前から知っていたので、期待して読んだ。もちろん面白かったんだけど、日本推理作家協会というのは、こういう作品を評価するんだな~、とか思ったりした。どれもこれも面白いんだけどね。

でも、山田さんの解説を読んで、これが本当の意味でのジャズ小説の粋に達していたんだと改めて思った。流石に本職は違うな。改めて読んでみると、まさに指摘された通りで、考えたら、サービスで付いているレコードガイドまで含めて一つの作品になっているように思う。

う~む。

平易な読みやすい文章なので、あっさり見逃していた。そもそも十二分に面白いし。こりゃしばらくはまりそう。
rakka.jpg 「聴いたら危険!ジャズ入門」で感服した田中啓文さんのジャズミステリー。ジャズミステリーと言い切ってしまうとこぼれ落ちるものも多いかと思うが、まあいいでしょう。

ミステリーの骨格とも言うべきトリックとかは、驚くものではない。古畑任三郎に毛が生えたレベル。特にミステリー好きにとっては、最後まで読めてしまう。これは、何も今や総てのミステリーがすぐに犯人が読めてしまって仕方がない、というレベルの話ではなくて、まあ、自然と見えてくるレベルってこと。

だから、本格ミステリーを期待して読むと全くもって応えてくれないとは思う。だけど、まさか古畑任三郎のトリックがアガサクリスティーのバクりだから面白くない、と言う人が居ないように、この本の楽しむところは、ほかにたっぷりとある。

まず、天は二物を与えず、ジャズ演奏以外には興味がない、はずだが、天然の才能でガンガンと犯人を追い詰めていく永見緋太郎が凄い。あ、二物与えてるか。対して狂言回しでイライラしっぱなしの私、唐島英治と永見の絡みは、古畑任三郎と今泉慎太郎とのやりとりに匹敵する面白さで楽しめる。

そして、卓越した文章力。おそらく日本一だと思われる、ジャズの演奏の描写。本当にスバラシイ。著者は自らもサックスを吹いているのだが、まさに音楽の現場に居る人にしか書けない素晴らしさだ。もちろん、現場に居るだけでもだめ、文章力があるだけでもだめ。両者が絶妙なバランスの上に成り立っている著者の作品を読めるのは、まさに現代における奇跡だっ。

dakedo.jpg 最初にエピソードが出てくるのが、ディジーとくればガレスピー。だったはずがここではギレスピー表記。いきなりこの調子で、噂に聞いていた翻訳家鈴木孝弥さんの拘った日本語表記がこれから山のように出てくるのかと思ったのではあるが、特にそんな感じは無かった。 正直なところ、日本語表記に関する問題については、あまりに雑で怠惰にほとんど何も感じてなかった。というか、感じてない文章ばっかり読んでたもんだから、それが普通になってる。というか、それが普通なんで、こうして、正確かもしれないが拘った、市民権を得ていない初めての表記を見ると、めちゃくちゃ違和感がある。さらに正直に言うと、読むのに邪魔だとまで思ってしまう。 とはいえ、こうしたできるだけ正しい発音を表記しようという心意気自体は、首肯できる。 菊地成孔さんが誉めていただけある、というとかなり偏見があるようだけど、文章、組みたてがかなり知的スノッブ的な感じが、最後まで馴染めなかった。菊地さんの文章も独特な展開。をするのだけれど(←こんな感じ)少し読むならまだしも、長い文章を読むと鼻に付く。はまる人にははまるんだろうけど、自分にはかなり鬱陶しい文章でしかない。 これは翻訳だからなのかなあ。それとも翻訳家の文章そのものがこうだからなのかなあ。ほかのものを読んでいないのでそれは全く分からないんだけど。脚注、表記などかなり意欲的で良心的ではあるがゆえに主張が強く、文章の中身を楽しむ以前にひっかかるものが多すぎる、という感じがずっとしていて内容に集中できなかった。 例えば、コルトレーンとマイルスの関係、とあり、そのあと、サクソフォニストは相棒に打ち明けた、と書く。サクソフォニストはコルトレーンのことなんだけど、それならコルトレーンと書けよ、と思ってしまう。こうした多分世間では粋な言い換えの範囲内だと思うんだけど、全編これではまったく鼻白んでしまう。文章の内容よりも文章の体裁ばっかり気になってしまうのである。 慣れが必要なのであろうが、慣れるまで読み続ける気力がどうも分からないのである。本当はミュージシャンエピソード集なんで、気軽に読めるはずだったんだけどなあ。
port.jpg 次聞いてるのが5枚組で、なかなかまた書けそうもないので、読んだ本も取り上げていくことにする。ポートレイト・イン・ジャズ2。
和田誠さんの画に、村上春樹さんが文章を付けたもの。画ももちろんすんばらしいんだけど、文章がまたスバラシイ。 もちろん、いわゆるジャズ評論ではないんだけど、田中さんの時にも感じた、ジャズを本当に好きな気持ちが伝わってくる。文章に魅力がある。本当にうらやましくなる。
ここで取り上げられているミュージシャンは、まあ、正直なところ、我が輩はそんなに好き、という感じではない。けれども、必ず通るミュージシャンでもあるので、取り上げられているアルバムそのものは聞いてなくても、全員何度も耳にしたミュージシャンばかりである。

ああ、この人の音をこういう風に書くのか、こういう風に感じてるのか、ああ、そうだよなあ。

そういった共感の中で唯一強烈に違和感があったのが、クリフォード・ブラウンに関する文章。ワタクシはクリフォード・ブラウンの音楽を溺愛してますよ。まあ溺愛という言葉の定義、意味するところがイマイチわからなかったりはするんだけど。『自堕落でだらしない弱さを含んだ芸術』(36ページ)にはもちろん惹きつけられる。けれどもそういった背景は総て越えて、胸に突き刺さってくる音楽がある。自分にとってはクリフォード・ブラウンの音楽は、まさにそういった音楽の一つだ。

村上さんは言う。『クリフォード・ブラウンの音楽を溺愛しているという人に一度も巡り合ったことがない。』(同)。そうなんだ。そうなのかなあ。
thatnot.jpgコルトレーンの例を持ち出すまでもなく、JAZZというやつは音で埋めつくす。コルトレーンは例外的にオソロシイとしても、音の羅列の争いである。
しかしながら、tyshawn sorey、この御方、そういったものとは全く逆方向に球を蹴る。4曲目に「Permutations For Solo Piano」という40分を越えるピアノソロがある。なんでドラマーのリーダーアルバムにピアノソロが40分もあるのかと思ってジャケット見たら、この人ピアノも弾くんだな。いや、そんなことを言いたいのではない。このピアノソロ、おそらくJAZZ史上、最も音の少ないピアノソロ40分であろう。
正直なところ、はっきり申し上げて、この程度自分でもデキる。と思わせるほどのシンプルさである。しか~しながら、この恐るべき緊張感を持って40分続けられる人はやはりタダモノではない。やっぱりtyshawn soreyが弾いてるんやろかしら。でもこのサイトを見たらCorey Smythe: piano (CD1#2-6, CD2#2, CD2#4-7)となってるのよね。別に誰が弾いてようが傑作にはもちろん変わりないんだけど、他のCD、曲も聴きたくなるからさあ。すでにtyshawn soreyの入手可能なものは総て購入してたりするんだけど、このピアノの人はリーダーアルバム、ないみたいなんだよね。

話戻して。このピアノソロが分かりやすく、というか書きやすくて書いてるけど、他の曲もまさにそう。一球入魂ならぬ、一音入魂。一音一義というのは、そもそも50音の一音一音が意味がある、という説らしいけど、このアルバムを聞いてると、まさにその一音一音に意味を見いだし届けだそうとしてるようだ。きっとこの調子でコルトレーンを聞くと死んでしまうであろう。というか、そもそもこのCD、2枚組なのである。2時間以上あるのである。この調子で一気に通して聞くのは、もう我が輩の体力では命に関わってくるのである。コルトレーンを想像している場合ではないのである。命がキケンだ。2008年度ミュージック・マガジンベスト1のJAZZアルバムでした。
51FmXyey0GL._SS500_.jpg予定変更。エヴァン・パーカーは田中さんの新書まとめてって時に書くことにする。今んところ、たった二人の読者に向かって書いておる訳だけど、二人とも全然ジャズに興味ないのが悲しい。
その代わり、昨日の流れの続きで、ミュージック・マガジン誌2007年度ナンバー1JAZZアルバム、デイヴィッド・トーンの「プレゼンス」というアルバムを。当時夢中になって聴いた、ような気がする。5年振りぐらいだと思うが、これまた不思議にさっばりもって分らん。しかし、このアルバムに関していえば、これでいいのだ。
もともとジャズは混沌とした音楽ではあったと思うんだけど、現代に届けられた「Prezens」はまさに混沌の極み、いろんな音楽の要素が詰め込まれてる。でも、その一つ一つを解きあかすことは「混沌七竅に死す」ではないが、音楽を殺してしまうような気がする。これはこの混沌を楽しむべきであるのだ。といって、決して一つ一つ分析して解きあかすことができないから言っている訳ではない。音楽とは、ジャズとは本来そういうものであるのである。理解したくて一つ一つ分解していくが、それが本質に繋がっていくとは限らない。

もはや分析とか解説とかそういうものは不要なのである。聴いて楽しむ。これしかおません。どこかマイルス・デイビスの難解アルバム「サイレントウェイ」を思い出させる加工具合だったりもするが、あれがジャズならこれもジャズ。音の肌触りは全くもって違うが、要求される緊張感は同じだ。
liveinlisbon.jpgいや、難解であった。何回聞いたことであろう。シャレなどではなくマジメに。2010年度ミュージック・マガジン選定ジャズ部門第一位の、ピーター・エヴァンスという人のライブ。最初エヴァン・パーカーとこんがらがったわ。
多分、きっと、おそらく音楽として楽しめるのはどちらかというとこちらだと思うのであるが、例えばエヴァン・パーカーのソロ(明日取り上げる予定である。)が自分にとってあっさりと楽しく面白く夢中になれたのに比べたら、こちらは難解きわまる感じで、いったい難解聞いたことであろう。いや、シャレじゃなくって。
 それは分からない、ということ半分、何回聞いてもドキドキが残る、ということ半分。分からないからドキドキなのか。こんなに一枚のアルバムをず~っと聞いてるなんてどれぐらいぶりであろうか。ここに書いてない期間、ずっとこれ聞いてたって感じなのであった。
 トランペットのピーター・エヴァンスも確かに素晴らしいのであるが、ピアノのricardo galloもまた凄い。ちゅうとベースは、ドラムはどうやねん、ということになるんだけど、ライヴだからこその強烈などつきあいから、スクラムまで、場面場面が実に複雑にうねりあってて楽しいが、緊張しっぱなしという感じすかね。

 田中さんいうところの「でた~っ」という音では全くないんだけど、聞けば聞くほど聞くところがある。しかしその修行に今は旅立つ時間が無い、という感じかな。ほかにも聞きたいもの山のようにあるしなあ。後ろ髪をひかれつつ、次のアルバムに向かうのであった。

 とはいえ、なんか楽しみ残してるような気がず~っとしてる。あと何回聞けば満足するのであろうか?
kitara.jpg  何気なしに手にとった一冊。帯が山下洋輔。山下洋輔さんの書く本の面白さが抜群なのは当然知っておるので、その人の推薦本なら買ってもいいか。程度のものだった。新書だったし。損しても大したことなかったし。
 チラリと最初に出てくる歴史、本の案内などはまだそうでもなかったが、最初ペーター・ブロッツマン。こんなとこに出てくるんだ~、へ~、のデューク・エリントン。アイドルのエリック・ドルフィーの項を読んだ時にはもうすでに嫉妬で狂ってた。
 先の山下洋輔さんにだって、そりゃジャズメンはこんなに世界中旅してるんだ、こんなに楽しいんだ、なんて嫉妬したけど、そりゃ音楽の才能溢れる、日本の誇る天才である。あ。こんな書き方したら、著者の田中啓文さんは才能ないみたいな書き方だけど、それは全然チガウのである。単に、私が世間知らずで知らなかっただけの人であるのだ。考えたら私が知らんけど才能豊かな人って山のように居るのも当たり前やな~。

 それでこの本である。とにかく音が聴きたくなる。ジャズについて書いてる本で、これほどまでに面白い文章に出会ったのは、本当に久しぶり。というか、二回目かも。文章に魅力がある。一番最初に私がジャズについてまとった本を読んだのは、故油井正一先生の著作だったと思うが、あの時以来の面白さと言っていいであろう。
 いや、もちろん、菊地成孔さんの本から頂いた知的興奮もスゴイんだけど、趣はそりゃ全然違うわね。

 大好きなフリージャズをこんな風に表現できるなんて。こんなに音が聴きたくなる文章を書けるなんて。そしてこんなにスバラシイ音楽を聴いてきてるなんて。もう総てにおいて嫉妬の対象であった。しかもほぼ地元。四つ年上という同年代。う~ん。ちくしょ~。ウラヤマシイよおおっ。

 いや。男は羨ましがってはイケナイ。悔しがれ。なんていうのを確か昔のテレビドラマが言ってたのを覚えているのであるが、それにしてもウラヤマシイ。こんな文才が欲しい。耳が欲しい。

 ちなみに今月末、西宮のコーナーポケットというJAZZ喫茶で、この著作の特集コンサートとでもいうのかな。あるらしいのだ。行こうっと。


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ミュージック・マガジン誌2009年度ジャズ部門第5位。このCDのレビューを読んでると、高確率で「優雅なピアノ」という表現が出てくるのである。人と 同じようには聞きたくないと思いつつ、このピアノを優雅と表現しなくて何を表現する、という感じがする。陳腐すぎる表現だけど、聞いていてほっとする。安 心する。眠たくなる、ことはないけど。いつまでもゆったりと音楽に包まれてぽんやりしていたい。モンクのタイトル曲のカバーもまさにその典型で、すぐに ジャズがど~とかこ~とか、モンクと比べてあ~だのこ~だの、そんなことはまあ後でって感じで、本当に音楽って素晴らしいと今更ながら再確認させてくれ る。本当に素晴らしい。
  基本的にはR&Bの人らしいのだが、恥ずかしながら初めて聞くアラン・トゥーサン。ミュージック・マガジン誌 で松尾史朗さんが言うようにこれはジャズ以外の何者でもないのだけれど、単に懐古主義な音になっていないのは、ジャズ畑の人ではなかったからなのかもしれ ない。インスト曲の中で唯一の歌ものは一級品のブルースでなんともいえん味があるし。
  今ふとアマゾンのレビュー読みに行ったら、全員満点の五つ星付けてる。ま~、そうだよな~。音楽好きにはたまらんし、そうでなけりゃ、聞こうとも思わんやろ。んでもとりあえずこれ聞いて、ぽんわかできる人とはお話がしたいと。かように思うわけでございました。

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