2007年9月アーカイブ
も一つは、一応いつもタイトル考えてたんだけど、今回は単純に邦題のままにしてます。
ミュージック・マガジン誌が選んだ2003年度のジャズ第1位です。
で、ずーっと聴いているんだけど、これがジャズっていうのがスゴイよね。f(^^;)
日本盤じゃなくて輸入盤を買ってしまったんだけど、日本盤だと対訳とか解説とか付いているのかなあ。マガジン誌のマーク・ラバポート氏によると、詩人兼ヒップホッパーとやってるらしい。なるほど、これがヒップホップか。じゃあヒップホップじゃないのか。そもそもワタクシ、ヒップホップって全然分かっておらんのよね。ラップとか、そういう括りだとはなんとなく思っているのだけど。
ここでもきっちりとラップです。意外というか、そういうものなのかもですが、バックの音、音そのものはスゴイしっかりしてます。ピコピコ音もあったりして、クラシックテクノ好きなワタクシにはたまらない一瞬もあります。かと思えばホーンがきっちり鳴ってるし、確かに多彩だ。ラップとの交歓もそれなりに楽しめますが、とことん楽しむには、素養がないってことをまたまた痛感してたりしますね。
疲れてるせいというのが大きいとは思うが、9曲めで体力を使い果たした後に出てくる10曲目とラストになる11曲目。これだけ独立して今聴いて見たらそんなことないんやけど、続けて聴いた時は、背筋がゾクゾクするほどの恐怖に襲われた。ここここ、こわい。ジャズ聴いてコワイ思いするなんて。いや、ほんまにコワイ。
ミュージック・マガジン誌1995年ベスト・アルバム、ジャズ部門の1位、マッツ・アイレットセンのトゥランガ。なんか、外国語やなあ〜という強引なカタカナ表記がいい感じ。ノルウェーのお方。
なんか打楽器がポロンポロンと鳴って、じっくりゆっくりほわ〜っと始まったんで、アートアンサンブルオブシカゴを瞬間的に思い出した。ああ、久しく聴いてないなあ。CD入手困難で高騰してんなあ、レコードで聴くか、なんて思ってたら、ブロブロブロ〜って始まった。いや、もう既に始まっていたのであるが。
楽器の響き、も十分楽しみながらも緊張感漂う中、6曲目のSukhaって曲の美しい旋律が始まった時は、鳥肌が立つぐらい感動した。気持ちはここで一旦リセットしてあと最終曲まで続くんだけど、それにしても緊張感続いて疲れる。全部で52分ほどで、昨今のCDからしたら決して長い方ではないんだけどね。
今回のこのブログも、毎日1枚取り上げるのを基調としているが、別に毎日1枚だけ聴いてる訳じゃなく、他にも聴いてるし、一回だけ聴いている訳でもない。ものによっては何度も聴いてる。これがそうだ。
余談だが、この当時のレコードは40分前後で短いので、何度も繰り返して聴けるのはありがたい。ワタクシは、中山康樹氏が唱える、価値を下げるのでボーナストラックは反対という立場は取らないが、単に短いと聴きやすいという効果があるのは認めるね。
で、長々と書いたのは、実は言い訳がましい話を今からスルからである。つまり、なるほど、ふむ、そうね、このCDはとても聴きやすく、ビル・エヴァンスなるほど素晴らしい。だけどね。ジャズファンの悪しき習慣か、単にワガハイが昔イジメられたからか、これをブラインドで聴かされたらどう判断するのかとかばっかり考える。例えば、セルゲイ・マヌキャン、ルイジ・マルディナーレ。聴き分け、できないと思う。それで、ずーっと聴いてた。他はお休みして中山康樹氏の言うように、ベースに注目、ドラムに注目、10回は聴いた。やはり聴き続けると、霧が晴れた。かと思った。(>_<) 違う奴聴いたら、その応用が効いてないんよ。ああ、ジャズよ。遠くに行ってしまったまま、帰ってこないのかな。
ロッキーのアイオブザタイガー聴こうっと。
時代をあまりに写し取った音は、いやおうなく古くなる。ここでのラップも、今聴くともう古典的な彩りがある。だけど、それがどうした。
最後は糖尿病の悪化だとか、本当は麻薬で死んだとか言われているマイルスだが、彼の残した足跡は、間違いなく過去を振り返らず、ただひたすら前進し続けた。最終地点が少々型にはまってようが、トランペットのフレーズもイマイチな感じもしなくもないが、戦い続けた音を丁寧に聴くべきであろう。いかに聴いたことあるようなフレーズを聴いたとしても、それがどしたの。
このアルバムは、1枚完成させる量が揃わないまま、マイルスは逝ってしまった。残されたモビーは、マイルスが残した音を探りいじくりこねくりまわし新しい音を創造した。それこそが、マイルスの精神であり、モビー(このアルバムでマイルスに指名されて一緒に作った人)のみならず我々も受け継がなければならない姿である。
頑張ろうっと。
今回、ジャズ解禁の時に真っ先に聴きたくなったのがマイルスだ。噂の聖典「マイルスに聴け!」を買ったら、アマンドラとか、ドゥーバップとか出てるのを知った。ドゥーバップは明日。アマンドラもそのうち取り上げると思うが、両者と比べても、やはり特に何も言うこともないアルバムだとしか言えん。サウンド全体をマーカス・ミラーにやらせて、自分はトランペット吹くだけ。マーカス・ミラーの分かりやすさ、ファンクさがどうも中途半端に媚売ってるようで、気に入らなかった。今聴いても、基本的にはそうだ。マイルスのペットも衰えは上手に誤魔化してはいるが、隠し切れないって感じだ。痛々しい、という感じではないところが、また聴く耳を厳しくさせる。
自分が唯一出合ったリアルタイムのマイルス、ということで、必要以上に情緒に流されないようにキビシクなっているのかもしれないけれど。
このアルバムの最大の収穫は、ジャケットデザインだ。日本人の石岡瑛子のデザインは全く素晴らしい。グラミー賞なんぞは今も全く見向きしていないが、これは受賞する価値のあるデザインだと思う。ギリギリレコードで入手していて良かったと思う。ジャケットの表裏の顔の表情も素晴らしいが、もっとすばらしいのは、内ジャケットのマイルスの「手」だ。ほれぼれする。
ちなみに、レコードのライナーを書いているのはスイング・ジャーナル編集長時代の、中山康樹氏だった。周辺があまりにも整いすぎてるのは、音もその通りだ。
とにかくこれは語るべき音ではない。聞くしかないし、感じるしかない。だけどこういったアルバムを、マイルスは、自分の体から発した衝動のみで作った訳ではなく、冷徹に計算し尽くして作っておるのだ。やはり恐るべし。
しかもほとんどが絶賛、中山康樹氏など「あらゆる音楽の頂点に君臨する世紀の名作」とまで。まさに存在を賭けているのである。
知ってる限り、最初の否定的な見解は寺島靖国氏だったと思う。こうして感想を書く段になって思うが、本当に勇気の要ったことでしょうね。こんな寝言を多分二人しか読んでないような場所に書くワタクシと違うんですから。
今でこそ、ああマイルスさんスゴイのねと、あちこちで感動するのであるが、それはもう何百回、ごめん、 大げさでした、でも百何回かは聴いてると思われる、今だからこそだ。最初にひっかかったのは、むしろバスクラの音だったりして、最初の1枚だったな。素直に踊れないポリリズムと、このぐにゃぐにゃした低音がすっごく気持ちよかったのを覚えている。
あと、中村とうよう氏が、これはビッチェズブルーじゃなくて、ビッチズブルーだ、と書いていたのも懐かしい。こういう英語表記を日本語に移し替える時、ヴかブかムかンか、こだわる人はこだわるが、ワタクシはこだわらないというこだわりを持ってる。だけど、ことこのビッチズブルーに関しては、やっぱりビッチェズブルーと読ませるのは間違いでしょう。
全然音楽について語ってないな。
最高のアドリブがそんなにしょっちゅうある訳はないんだけど、そこへ向かう気迫ぐらいは感じさせてくれないと。
そういった、ジャズの持つ宿命というか、誤魔化しを誤魔化さず、次へのステップを踏むのが、このマイルス・デイヴィス御仁だ。このネフェルティティというタイトルチューン。当該書籍によると「いわゆるジャズ的アドリブ」がないって書いてあるが、まあ、その通りといえばその通り。繰り返されるテーマの下、ピアノとドラムが蠢いてます。
通常、いわゆるフロントと呼ばれる管楽器が、フロントと呼ばれるだけにベースやドラム従えアドリブとして踊りまくるが、ここでは全く逆になってるのが、面白いっちゃ面白い。とはいえ勿論、バックで吹いてる、という意味ではないし、ピアノも基本アドリブだけど、ソロを取ってる、という音では全然ない。この倒錯とも転倒とも違う訳の分からなさが狙いなのでありましょうか。
でもそんなのは1曲だけで、他はとりあえず普通にやってます。中山康樹氏はここからマイルス・デイヴィスのソロのフレーズが変わった、と述べておられますが(マイルスを聴け!VOL.7)ワタクシにはさっぱり分かりません。なんとなく、今まではソロが変わるとその人の音になりますが、ここではみんなが同じ方向に向いている、というか、統一された色がある。
マイルスの統一感、というよりも、頭の悪いワタクシは、頭のいいヤツは違う楽器からフレーズを盗む、という説を思い出したりしておりました。
このアルバムを聞いた時には、リリカルは使ってはイケナイ。全然リリカルではないからである。いや、別に何をどう感じたっていいんだけど。かえってこれこそリリカルだ、と主張する手もあるな。
でもま、ここでは通常のイメージにおけるリリカルってことで。そうすると、ビル・エヴァンス本人も嫌がったに違いないと勝手に思わせるほど、ここでのピアノはハードタッチである。きっと天国のエヴァンス本人も、このアルバムを残しておいて良かったと思っているであろう。勿論、こちらの勝手な想像だが、こうした勝手なウソを平気で書けることが評論家への第一歩だと、著者中山康樹氏が、これは別の本だが「ジャズを聴くバカ、聴かぬバカ」で述べておられる。評論家がそうなのだから、別にお金貰って文章書いている訳じゃないこちらは、もっと平気で思い込みを書いてもいいのである。
それにしても、確かにヘロヘロな、いやいや、繊細極まって泣きそうな音の「ワルツ・フォー・デビイ」とは大違い。どーでもいいが、大学時代、ワタクシにブラインド出してたお方、この違いが結構気になっていたようで、よくこれ出された記憶がある。懐かしい。でも当時のワタクシは当然のように間違えたりはしませんでしたけどね。というか、完全に覚えてた。聴きまくっていたもん。懐かしいぞ。勿論、これを間違えるような人は、今のワタクシぐらいでありましょうが。(>_<)
それにしてもジェレミー・スタイグのフルート。目立ってますなあ。エディ・ゴメスのベースもガンバっておる。ベースソロ多いし。でもこの唸り声、誰よ。フルートにきっちり寄り添って出してるんやけど、フルート拭きながら唸れるんやろか。でも考えたらこの録音に参加してる人って、その気になればみんな声出せるな。
ロックの世界ではまあ当然なんだけれども、編集やハサミがバンバン入っているらしい。これは世の解説書からの受け入り。確かに1曲目の10分43秒ぐらいの所、音が飛んでるもんな。こういったことは生演奏ならめちゃ凄いとかハプニングとか楽しいけど、編集作業としてはどうなんやろ。ちょい興ざめってところやないやろか。
でも逆にいえば、そんなとてつもなくどうでもいいような一瞬が気になってしまうほど、張りつめた緊張感がアルバム全体に強烈に効いてる。アルバムなんてタイトルはどうでもいいっちゃどうでもいいんだが、これほどきちんとアルバム全体を説明しているタイトルもないぐらい内容に添った秀逸なタイトルだ。
じわ〜、じわ〜っと静か〜に進行して行きます。個人的にはそれの爆発する瞬間も聞きたかったのであるが、そうは単純なアルバムではなかった。最初の緊張が最後まで続き、非常に疲れます。こちらの勝手な期待を見事に裏切るこの静寂さ。体力要りますわ。勿論、このことは、これはいいアルバムである、という証明に他ならん。
それにしても、これを最初に勧めるジャズ本は、まあもう二度と出ないでしょう。勿論、一旦ジャズに挫折している人が対象、というのもあるけれど。ロック畑の人がジャズへの第一歩を踏み出すのにも案外いいアルバムなのかも、というのはピーター・バラカン氏の解説を読んで思いました。
だから、本当に名盤だとか、スゴイ盤だとかエライ盤だとかは、なっかなかない。それでもジャズ好きな人は全部聞く勢いなんだよねえ。はい。ワタクシも20年前、ジャズ全部聞いてやる〜って思ってました。
でも、最初のうちは、って今だ今、判別つかなくて苦しいんだよね。昨日のセルゲイ・マヌキャンとどう違うんや。さっぱり分からん。たった今、この2枚からブラインド出されても分からんな、多分。最後の曲ぐらいは覚えてるって感じやろか。
しかし。ジャズって本来そういう所を持った音楽でもあるんだよね。だれでもすぐに誰か分かるなら、ブラインドテストなんて発生しないし。ロックではなかなか考えられないけど、それでもアドリブのソロ部分だけで見分けるのは、ある程度聞き込んでいないと難しいかな。でも、曲特有のメロディーがあり、声があり、誰か分からんって感覚はあんまり無いよね。
同じピアノトリオで同じビートで。分からんよ。アドリブも聞き分けられんし。ふに〜。その点、上原ひろみは良かったなあ。全部オリジナルで分かりやすいもん。
その点、全くジャズって大変。
耳、返ってくるやろか。いやいや。弱気はアカンで。今は単に修業中。もすこし、巨人も聞こう。
「タバコの煙ムンムンのピアノトリオ」って、なによそれ。で、読み進めると、タバコの煙とは中低域の張り出した音、だそうだ。ほほう。
解説読むのが聴いた後で良かったよ。最初にこの文読まされてたら先入観で聴く気力なくなってたかもよ。マイナーレーベルで好きなこと書けるのかも知れないけど、ちょっとこれはなあ。
じゃなんでしょ。タバコ吸わない人間にはジャズが分からんと。聴けんと。いや、逆にタバコの煙さえしてればオーケーなジャズだと。幸せな人そうだね。
ちなみにきちんと署名がある。これは正真正銘エライっ。
ディスクSHOWAの松崎政博さん。はいはい、タバコタバコ、お酒お酒、ドラッグドラッグ。良かったね。すごいすごーい。
で、肝心の音は、ワタクシのイメージするタバコとは、全く違う印象を受けました。タバコというより、味がない炭酸飲料、てな感じでしょうか。これをタバコの煙と表現する人がかたや居るんだから、人間の表現、感受性とは全く面白いです。
ピアノトリオは聴きやすいし、曲も丁寧な選択で聴きやすい。間違いなくいいアルバムだけど、古典的ジャズの名盤を蹴散らして聴きたくなるかどうかが分かりません。このフレーズが聴きたいとか、この瞬間がいいってなウリがないと、聴く順番遅いかも。
ワタクシは録音が新しいだけで、かなり聴きたくなるんだけど、わざわざ無味なもの聴くだけなら、時間もったいないって感じしてきたなあ。もう少し後でと思ったんだけど、歴史的な名盤ガイド持ち出そうかな。
6曲めにピアノ・ソロが入っていて聞き惚れた。上手だね〜。ラストのお遊びもほほ笑ましい。あかん。結構もう感情移入してるよなあ。れ、冷静な判断が。
感じる不満はいつも一緒っていうこともあるかな。構成力ありすぎて、ハプニングとか、お互いが触発しあってっていう部分が分かりにくい。但し、これはこちらの耳にも問題ありなんだけど。
とりあえずは、聴き続けて行きます。
あと、ジャケットデザインは全てこう、アイドルしてるよね。いや、いいんだけどね。昔のブルーノートのバロディは見飽きてるし。次はジャケットも内容ももっともっと突き抜けてくれることを期待しております。
と、どうでもいいようなことを書いておいて、多分これが上原ひろみのファーストアルバム。ジャケットの写真は国内盤と輸入盤とで違うようです。これは輸入盤。安かったから。内容が違うかどうかは未確認だけど、国内盤の方が1曲多いとかありそうやな。まあ、そういった時の1曲はほとんどコレクター向けだからまあいいや。
で、聴きました。結構ソロしててびっくり。オスカー・ピーターソン張りにって、実はオスカー・ピーターソン20年近く聴いてないんで忘れたんだけど、こんなだったような。アカン。すぐ聴いて耳の記憶たどらないと、ますます信頼性に欠ける記述になるよ。ゲストのサックスとギター、あんたらも頑張ったね〜。3曲目のSummer Rainなんて、曲もそうだけど完全にフュージョンのソロだね。ジャズとどう違うんや。って言われたら困るけど。
総合格闘技だなんてかっこいいこと言ってるけど、考えたらフュージョンがそもそもそういう音楽だったりするよね。じゃあ、ジャズの現在はフュージョンなの? なんか、刷り込みというものがあって、ヤな感覚があるが、これは偏見というものでありましょう。
ただ、ジャズファンが、フュージョンなんて今だけ、なんていうことをワタクシが傲慢だった時代に言われていたけど(ワタクシは言いません)、別に今良かったらそれでいいじゃないのかな。いいじゃん。10年後も素晴らしい感動をくれる音楽の方がそれは素晴らしいとは思うけど、少なくとも今楽しませてくれたら、それはそれでいい音楽じゃん。
って、まるでこれが10年持たないと言っているような感じもするが。・・・・いや、確かにそうかも。それでもま、いいけどさ。さ。明日は残る1枚聴きましょう。
で、このルイジ・マルティナーレ・トリオ。もう、めっちゃめちゃ奇麗なメロディーなのよ。特に前半が凄かったけど、これは後半がイマイチとか、慣れた飽きたではなく、こちらの体力がないということであろう。ジャズが、音楽が好きなんだなあ、と思う。心地よくて何度も聴いた。で、何度も聴くと、どーしてもなんか言いたくなってくるのが、ワガハイの根性のねじ曲がっている所なんやなあ。
めちゃめちゃ良質の音楽やと思うんやけど、ここを聴いてくれ〜、オレはこれだけは言いたいんや〜、お前に伝えたいんや〜、という強引さが感じられないんよね。
でも書きながら考えた。モテるヤツに何の情熱も必要ないように、何もしなくてもいいんなら、何も必要ないんよね。横向いてる人間の耳にも強引に入ってくような、そんな音楽が好きなんやけど、これは結局のところ、自分にないものを求める、というヤツでしょか。
そう思うと、自分に出来ることをやる、という潔さもなんか感じてきたけど。そりゃいいよな。こんな美しいメロディー書けるんだもんな。ほんまに僻んでいるな。
でもそれでいいのである。話を聞いてあげたのだから、今度はこっちが好きな話をする番なのであるからして。
うむ。期待通り。思った通り。想像通り。予想通り。だね。
するとリスナーというのは残酷で冷血なんで、どうしてももっともっと、という気になってしまう。でも構成もメロディも曲を判別するにはありがたいけど、この際、もっともっとアドリブを前面に出して貰いたい気がする。もっともっと我儘に喚き散らして欲しい感じがする。
構成もきちんとしてるが、逆に破綻もない。優等生ではあるが、何か物足りない気がする。なんか、自分の中でイメージしてる渡辺美里に似てる感じするな。だから気になるのかな。ジャズ界の渡辺美里ってことでどうだ。どちらにも失礼かな。
多分これが最新作。ということは、次の作品はリアルタイムで聴けるということだ。楽しみだね〜。
どう凄いのかというと、51ページに紹介文があるんだけど「奇跡の旋律」「米国にもヨーロッパにもない、強く美しい福居のメロディは和の芸術だ。」とある。絶対に聴きたくなる。超一流の紹介文だ。
で、聴いた。
良かった、と思う。日本人のピアノ・トリオ好き、特にビル・エヴァンス好きはスゴイらしいが、かくいうワタクシもピアノ・トリオで一番好きなのはやっばりビル・エヴァンスだったりする。おまけに「ワルツ・フォー・デビイ」だったりする、ジャズ黄金路線というか、完全にミーハーだったりする。
これ、エヴァンスの未発表のMY FOOLISH HEARTだよ、なんて渡されたら、なんかオカシイな、なんて思いながら納得したと思う。20年前なら、こんなエヴァンス居ません、とはっきり言ってたかもしれんが、今はあんまり聴き分けられ〜ん。(T_T)
それでも、まるっきり本家のアウトテイクかと思うMY FOOLISH HEARTを聴いて、やっばり本家を聴きたくなって本家を聴いた。
ジャズに限ったことじゃないけど、リスナーというのは本当に自分勝手、我儘、強引、不遜だ。ピアノ・トリオが聴きたくなる。MY FOOLISH HEART聴きたくなる。福居良を選ぶかな。ビル・エヴァンスのCD見当たらない時に聴くか? 部屋とクルマに2枚ある。実はエヴァンス以上のMY FOOLISH HEARTあるんですよ、と通ぶるか? ウソはつけんのよ。「JAZZとびっきり新定番500+500」の(大)さん、多分大河内善宏さんは本当の本気でそう思ってるのかな。
なんか聴く価値ないやんって書いてるようだけど、それは違うんよね。「奇跡」と言われたオリジナルの「メロウ・ドリーム」と「ホライズン」、特に「ホライズン」はとても美しいメロディーだと思う。奇跡とまで言えるかどうかは、ストーンズやビートルズ、ジミ・ヘンやジャニス、ついでにスプリングスティーンやオーティス(って脈絡全然ないな)に相談する前に、清志郎やチャボ、個人的には渡辺美里も入れたいがちょい恥ずかしい気持ちもないではないっておいおい、自信持てよって思いつつ、このメンバーの中に入れるかあf(^^;)、にも相談したい。だけど、メロディー褒めるってそういうことでしょ。メロディそのものとそこに込められている力っていうか。
同じメロディー奏でればいいって訳では全然ないのは、カバーやトリビュートなんていうのがほとんど聴く価値ないってことでも分かるからさ。って、おい。毒舌だけ先復活か。(^O^;)
確かにこの曲がテレビでBGMで流れたら、どんな場面であっても音楽に気を取られると思う。でも、それはストーンズもビートルズも・・・・。以下同じ。
いいアルバムだと思う。力も雰囲気もあって気に入りました。だけど奇跡っていうのは、二度も三度も、いや、ちょい譲って二度か三度ぐらいまででしょう。このアルバムを、この曲を奇跡と表現するのは、自分には出来ないな。って、要するにアルバムの感想じゃなくて、文章の感想になってしまってますね。すいません。
とか言いつつ、ジャズが大好きで本まで書いている人に、人生において滅多に出逢えないとまで言わしめたこのアルバムには、やはり敬意を払って、折りに触れ聴いて行きたいと思います。
ミシェル・ペトルチアーニは昔から気になっていたが何故か聞かなかった一人。大理石病という難病を抱えながらの演奏。多分先入観がありすぎて、当時の尖った自分としては、公平な批評ができないと思ったんではないかということはないな、やっばり。単に巡り合わせの問題やろね。なんせジャズはレコード多すぎるからな。
で、初めて聞いた訳ですが、非常に聞きやすい。メロディーがはっきりしてる。やっばり受けるには、歌わなきゃダメなんだろうなあ。
この年に亡くなったからか、MILES DAVIS LICKSという曲が入ってる。いい曲だ。ペトルチアーニの代表曲のLOOKING UPとRACHIDも入っていて、結構お買い得なアルバムであったりするね。
やられたっ。2。
一瞬にして強引にバッド・プラスの世界に引きずり込まれた。待てよ。そういえばATOMICもこうした強引系列だったな。なんであっちは一歩引き、こっちはあっさりと引きずり込まれたのか。多分グルーブの中にあるファンク的なリフ、メロディーが結局は分かりやすいからやろうね。
その上に乗っかってるピアノソロもなかなか激しくて面白いし、それにとても三人の音とは思えない迫力だけど、ピアノ、ベース、ドラムという基本編成が耳に入るのかもな。
特に3曲目。CD聞き終わったあとも、ずーっと、口がじゃじゃじゃららっ。じゃじゃららじゃじゃらら、じゃじゃじゃららっ。止まらん〜っ。
てなことで、少し目先を変えたガイドが欲しい。そう思ってタワーレコードに行って適当な本がないか探したら、文庫のクセに1000円近くする本を見つけた。「JAZZとびっきり新定番500+500」MOONKS/だいわ文庫だ。古典的定番を飛び越えて70年代からのジャズを楽しもう、と書いてある。内容はビニールパックしてあって立ち読み出来なかったが、とりあえず買って帰る。
まずMOONKSとは一体なんぞやと思ってみると、六人の頭文字から取り、批評ではなく、ただ「好き」を唯一の基準にすると書いてある。ふ、ふ、ふ、ふざけるな。大の大人が他人の好き嫌いを基準に聴けるか。しかも連名と来る。個人で責任を取らない無責任集団だと決めつけ、しかも好きを基準にして逃げている。この段階で全く読む気を無くしたんだが、なんせ1000円も払ったのだ。もったいない。前書きだけでも読むか。
するとである。おや?なかなかいいことが書いてあるじゃないの。ジャズはリアルタイムの音楽であると定義する。そしてジャズを「音楽の総合格闘技」だと言い切っている。まさにその通りだ。古典的ジャズだけ、ロックだけ、ポップスだけ、を聞いている人間には多分分からない世界なんだろう。我が意を得たり。
集団的逃げ姿勢はちと気に入らんが、この際他に指針もないことだし、少し付き合うか。アルバムごとに4つの指標を用意してくれているので、そのうちの一つでも満点、5つ星のあるものから聞いて行くことにする。
そして最初に選んだのが2000年代新録、上原ひろみのスパイラルでありました。実はネットで結婚した、という情報を偶然読んで名前が頭に残っていたのだ。訳の分からん理由ではあるが、出会いとはこのようなものだ。そして興味津々で聞いた。
やられた。
なるほど、このメロディアスな展開。ほとんどジョージ・ウインストンのオータムである。しかし、1曲目の旋律が出てきた時にはドキッとした。4曲目が始まった時には一緒に踊ってた。聞きやすいったらこの上ない。でももう人妻なんだよな。出会うのが遅かった。(T_T)なんのこっちゃ。
それは冗談としても、顔も全くワタシ好みである。もうええってば。f(^^;)
うむ。最近のものは全然聞いてなかったから他のものも全然知らないのは当然なんだけど、日本人のジャズってこんな展開になってるのかな。他も聞いて見たいな。分かりやすいポップス的な旋律と、クラシックかは知らんが、きちんとした構成の中を、丁寧なアドリブで繋ぐ。確かにジャズの生命線、肝心のアドリブも構成が効き過ぎて、衒いが無さすぎる感じがしないでもない。それでも、こんなに文章書けるぐらいの感想が次々に湧いてくるのだ。いいジャズを聴いた時、どうしようもないぐらい何かを書き留めたくなる。久しぶりにこの感情に再会したのでありました。
聞き終わった後、即効でHMVにネットで繋ぎ、上原ひろみが出している全てのアルバムを購入した。日本人なのに、アメリカのレーベルと契約しているそうで、輸入盤が安い。お買い得だ。
ギター、オルガン、ドラムというベースレスのトリオ。やっばりベースは欲しい。ドラムが激しくて頭クラクラするときにベースのきちんとしたリズムに頼ることができない。ディジョネットのドラムは相変わらず激しく端正にプッシュされてるが、ジョンスコがなあ。
最初の印象よりは随分と楽しかったのは認めるが、それも一瞬。オルガンも楽しいがそれも一瞬。なまじ耳慣れたリズムが叩かれる中、全くリハビリが進んでいない証明となってしまった感じがする。ちょい退屈なんよね。2枚組だもんなあ。ここに書くまでに5回は聞いた。10時間は費やした。それでも響かんもんは響かん。ああ、道は遠い。
こう、なんか、突き抜けないんだよね。泣かずに感心してしまうっていうか。まだ4日目。リハビリが進むともう少し見えてくるんだろうとは思うけど、とりあえず今はこんな感じすね。
ワガハイも勿論ジャズばっかり聞いている訳ではなく、ロックもブルースも歌謡曲も聴くのである。なにより型に嵌められる事が嫌いだ。一番大事なものは俺の自由だ。(忌野清志郎©)
その中でジャズと並んで大きな柱がYMOである。特にYMOのミニマル性が大好きであるのだ。つまり繰り返しだ。じっくりじっくり繰り返しながら徐々にしみ込んでくるような音楽が大好きだ。実生活でもそうありたいもんである。
しかし、こうしたミニマル・ミュージックが果たしてジャズであることができるのであろうか。最も遠い二つのものをくっつけているような気がする。ジャズの定義とはなんなのか。おおっ。本格的な話題だ。スイングしなけりゃ意味がないってことなら、確かにスイングはしておる。だけど、アドリブはどこにある? と思ってたらしぶーいアドリブがしっかり出てきた。
でも考えるとジャズのコード循環とミニマルがどーのなんて、誰も何も言ってない。実は同根だとか強引に言えば言えなくもない、のなら新たな視点のジャズ論だな。今はとても考えられんが。うむ。完全に自分の守備範囲を超えてきた。
ワガハイがジャズを愛する理由の一つに、一種の催眠効果というのがある。強烈にワガママなので、普通の催眠術には掛からない自信があるが、よくできたジャズの中に入り込んでフラフラするのは大好きなのだ。このCDの1時間も、確かにニック・ベルチェの世界に入り込んでフラフラさせて貰いました。
今までの中では一番のお気に入り。
2006年度、ミュージックマガジン選定3位のATOMICのHAPPY NEW EARS!を聞きました。なんで2位がトんだのかというと、単なる間違いで先に聞いてしまったのであった。
で、ですな。ジャズというものは、ある程度耳を鍛えなければ判別つかん、という困った種類の音楽でもあります。勿論、分からん、というのは「良くない」「嫌い」の湾曲表現でもあったりするのですが、ジャズの場合は実際に「分からん」という場合が往々にしてあります。
これでもか〜、という何でもアリというかハチャメチャな音の洪水は、確かに迫力満点で飽きさせず、疲れる音こそ本当のジャズ、というワタクシの信念からするとかなりいいレベルであるのだろうと自分の基準に照らして判断はするのですが、事実上のジャズ再入門者にこれはかなりキツい。
こういう場合は、最新の音そのものを楽しみながら聞く、という事でお茶を濁したのであった。しっかし、本当に疲れました。振り回される快感、というのも確かにジャズ、特にフリー系列のジャズには大いにアリなんだけどね。