2007年10月アーカイブ

0710312.jpg  ボーカルもの。ボーカルに関しては、本当にジャズなのか、ポップスなのか、それともロックなのかカントリーなのか、さっばり分からん。そういえば、昨日苦しんだ「マイ・ピープル」もボーカルものだよな。
 で、そういう難しい判断はとりあえず置いておいても、これはまさに素晴らしい音楽であることは間違いがない。最初の一音、最初の一言でいきなりノラ・ワールドに変貌する。今、引きずり込まれる、と書こうとしたのだが、そういう強引なイメージではない。まあ、フリー・ジャズではない、ということだ。f(^^;)
 ふわ〜っと、漂う感じ。でも抵抗できません。ワガハイ、ジャズを聞いて酒飲むとか、ふざけんな派ですが、なるほどこうして漂いながらなんかふわふわできたらお酒ぐらいはどうでもいい、好きにしなはれ、的寛容さが生まれてきますね。
 中山氏のいうように、1曲めから4曲めまでの流れはまさに完璧。とはいえ、5曲目以降がアカンという訳では全然ない。貫徹されたノラ・ジョーンズが居て、心地よい歌声に漂う。うーん。気持ちいい、としか言いようがないな。
 
0710311.jpg  このアルバムの最大の魅力、ウリ、は2曲目「WARAYA」3曲目「BIMOYA」のサリフ・ケイタで、多分異存はなかろう。サリフ・ケイタはマリのスーパースター。彼の「ソロ」を大学の時に初めて聞いた時、世の中には、まだまだこんな素晴らしい音楽があるんだと思いっきり感動した。聞きまくった。
 対してジョー・ザビヌル。ワタクシが所属していたf(^^;)ミュージック・マガジン一派、というか中村とうよう派閥では、思いっきりクソメタな人である。おそらく、このアルバムもアフリカの素晴らしい音楽を搾取し、自分の商売に利用したクソおやじ、という感じになるんだろう。面白いから、このアルバムが発売された96年のマガジンを探してみたけど、案の定掲載されていなかった。まあ、勿論、マガジンに載るジャズアルバムの量は圧倒的に少ないけど。
 で、ワタクシ自身はこのアルバムを聞いて何を思ったのか。相変わらずお題目のように唱えますが、これはJAZZなんでしょうか。なるほどJAZZの雰囲気らしいものはあります。でもそれは、いわゆるフュージョンにもあったりします。結局のところ、JAZZはフュージョンなのでしょうか。いや、ゼッタイに違うんだけどね。
 それではこのアルバムは退屈しまくったのかというと、冒頭に挙げた2曲は別格としても、そんなことはないんだよね。ジョー・ザビヌル、考えてみると日本人的には確かに取っつき難い名前だよ、作曲の曲も十分アフリカのエッセンスあって、何よりそれぞれのボーカルに力があるんだよね。それを搾取として否定するか、良質な部分を昇華させてるとして評価するか。これは聞き手の感性が本当に問われる、なかなかのリトマス紙という気がしてきた。
 そうすると、中山康樹氏のいう「ジャズがどこまで行けるか、どこまで行ったかを実感させる傑作。」(最後のジャズ入門 181ページ)との文言は、まさにドンピシャ言い表している感じ。ワタクシのようなまだまだ未熟モノには、判断はなかなか難しい。これはジャズなのか。範囲を超えているのか。ま、折りに触れ聞き直してみましょう。
071029.jpg  大好きなアート・アンサンブル・オブ・シカゴのメンバーだった、レスター・ボウイのリーダー・アルバム。中山氏は、シリアスなミュージシャンと捉えられがちだが本当は大道芸人的な素質のある伝統的なミュージシャンだ、述べている。アート・アンサンブル・オブ・シカゴを究極の大道芸と捉えていたワタクシには、むしろ、シリアスのミュージシャンという側面の方に違和感を感じる。
 ま、そんなことはどうでもいいが、この「The Great Pretender」。タイトル曲を長々と独創的解釈で楽しんだ後も、どこかで聞いたような曲が続く。音楽的素養の無さが恨めしい。どっかで聞いたな〜、と思いつつハッとするほど覚醒もしない。悲しい。
 などと思っていると、4曲目「Rios Negroes」が流れ出した途端、ハッ。こ、これ。どっかで聞いた事あるんじゃ。と、ず〜っと記憶を探しているのだが、ま〜ったく思い出せない。アート・アンサンブル・オブ・シカゴで聞いたのかなあ。いや、分からん。分からんが、素晴らしいということだけは、当然分かる。
 音楽のトータルな演出というか、今まではそういった方向にばっかり目が向いて、いや、耳が向いて、トランペッターとしてのレスター・ポウイにはあまり意識してなかったが、そういったワタクシに向かって、ほりゃほりゃ、聞いてみんかい的感動的なソロに涙する。わうわうわうわうと、聴かせ所も忘れていない。
 Phillip Wilsonという全然知らないドラム、Donald Smithという恐らく忘却の彼方へ行ってしまったピアノ、名前を出さないと公平じゃないご苦労様ベースを弾き守り続けたFred Williams。みなさん、最高。しかし、こうした耳障りのいい曲にまず魅かれる所に、まだまだ道は長いと感じるね。
0710281.jpg  ピアノとビブラフォンのデュオ。ビブラフォンはボビー・ハッチャーソンの所でも書いたけど、ワタクシのアイドルはミルト・ジャクソン。ミルト・ジャクソンは、冷たいバイブでめちゃめちゃ熱いソロを展開する。ここでのゲイリー・バートンは、まさにこれこそバイブ、という冷徹な音を駆使しそのままクールに展開して惹きつける。なるほど、バイブだわい。
 ピアノのチック・コリアはそんなに好きな人ではなかったが、ここでのバイブとのデュオは本当に素晴らしい。ピアノとバイブがこんなに合うなんて。合うというか、二つの楽器が完全に協調しあい、一つの世界を築き上げている。
 とはいえ、精巧で知的なあまりに、かえってワタクシがJAZZに求める破綻や熱さが欲しいと思ってしまうな。勿論、極めて単純な、ピアノとバイブの音の交歓会を楽しむだけでも十分なんだけどね。本当にぴったりあってる。
 ちなみにライナーを読むと、ワタクシの尊敬する油井先生が書いておられる。油井先生によると、これは非常にホットな出来であると書いてある。そいえば中山氏もクールに燃え上がる(177ページ)と書いてるな。確かにラストの「ラ・フィエスタ」に向かってじわりじわりと盛り上がる。けど、そりゃ逆に言えば、途中のチック・コリアのチルドレン・ソング集がクラシック的で繋ぎにしか思えない、美しいけど少々退屈な裏返しではあるまいか、などとも思ってしまうな。
0710271.jpg  邦題が「残氓」。邦題を付ける時は、できるだけ直訳してくれないと、国内盤が廃盤で、後で輸入盤を探す時に苦労するんよね。時々、邦題変わることもあるしなあ。書籍もやはりきちんと両方書いておいて欲しい。まあ、どうでもいいんだけど。
 あと、どうでもいいと言えば、ブログ読んでって言ったとたんに更新が滞るってこともあるよな。ある程度は文章溜めてるものもあるから、アップするだけなんだけどなあ。新聞連載の4コマ漫画なんか、ほんと〜に凄いよな。何日分ストックあるんだろう。
 でまあ「キース・ジャレット」。大抵の人は、キースと言えば、リャードだろうけどな。ジャズの人はジャレットだな。キース・ジャレットの思い出と言えば、近くのレンタル屋さんで大量処分していて全部購入。一回聞いてほぼ全て処分しようと思っていつもの中古屋さんに持って行ったら「あ〜、フュージョンは安いよ〜。そうそう。店開いたばっかりのところあるから、そこに持って行ってごらんよ。多分商品必要やから高く買い取ってくれるんちゃうかな。」と言われた。今は無くなったけど、当時、ミスタージャケットだったか、中古屋さんを開いたばっかり、という所があって、そこに持って行ったら1枚800円で買い取ってくれた。今考えると、初めてのセドリ経験だったのかもな。本来セドリは書籍の事いうんだとは思うが。1枚200円ぐらいで買ってたんで、少しは浮いたな。
 ちなみに味をしめて、もう一回持って行った時は、全部1枚50円って言われた。前は単に開店のための品揃え、今度は全く中身を見ずに足元見てるのが見え見えで、こんな店は潰れるぞと思ったら、案の定今はない。と言っても、当時行ってたレコード屋さんで今は無い所何店かあるけど。気に入ってた店も。
 全然関係ないな。あ、そうそう、当時は微妙だったようだけど、やっばりキース・ジャレットと言えば、ビッグ・ネーム。ワタクシが苦手なのは、唸り声。だからある程度隠れるトリオなんかだとまだしも、ソロはちょっとキツかったな。まあ、10枚組なんてのも確かあった。こういった、自己陶酔型な音楽は、こちらも同じように陶酔できれば最高にトリップできるが、ちょっとでもひっかかると、もう単なる音の羅列になってしまって、拷問と化す。恐る恐る聞いたのだが。
 思いっきり素晴らしくてびっくり。中山氏は、2曲しか入っていないことを挙げて、つまり1曲が長いので、長時間との戦いに役立つ、要は慣れるのに役立つと書いてあるが、まさにそんな感じだ。1曲が長いとは言ってもミニマル的ではなく、十分山あり谷あり曲がり道ありで、退屈してるヒマはない。グイグイと惹きつけられる。唸り声もあるにはあるが、まあ、気にならない。
 こういうことがあるから、名前だけで判断できないんだよなあ。ECMレーベルらしい、汗を感じる、というのとはまた違う、静的な興奮がたっぷり味わえる。
 
0710261.jpg  さって。実は今までの所「最後のジャズ入門」で聞いていたCD、またはレコードはだいたい学生時代に持っていて聞いていたものばかりだった。昨日の謎アルバムから何枚かは、初めて買った。昨日はあまりの白けぶりに熱くなったが、今日は巡り合って良かったと思えるアルバムだった。
 一応名前は知っていたけど、スティーヴ・キューンという人の「トランス」。ピアノ・トリオにバーカッション。ほとんどピアノ・トリオだが、エレピを使っている曲はかなりイメージが違う。2曲めの「ア・チェンジ・オブ・フェイス」はアップテンポでエレピでかなり聴かせるが、こうした曲はやっぱりドラムのジャック・デジョネットの独壇場、という感じだね。そこでグッと惹きつけてる。
 次はピル・エヴァンスに代表する、いわゆるピアノ・トリオではなく、一歩進んだフリー的な構成を見せる曲を持ってきたりと変幻自在に飽きさせないし、勿論ピアノ・トリオ必須のリリシズム、f(^^;)、も十分感じられる。
 このように、素晴らしいアルバムなのだが、一つ注意が。ゼッタイに裏ジャケットは見てはいけない。イメージ崩れるで〜。
0710251.jpg  こうしてずーっとジャズを聴いていても、まっだまだだなあ、と思うな。順番通りに聴いてるネタ本「最後のジャズ入門」の最後に、音楽に罪をなすりつけるな、一定のレベルに達するまで好き嫌い言うな、なんて事が書いて有る。ワタクシは全く間逆の考えなのでそのこと自体には猛反発しつつも、こうしたピアノ・ソロを聴くと、そうかもしれんな、などという弱気な考えが浮かんでくる。
 つまり、要するにですね、子供が遊んでいるピアノと区別つかんのよ。適当にポロンポロン、ピンピン、ガビリンガビリン鳴らしてるだけに聞こえる。ああ、上原ひろみの聴きやすさが思い出される。そらま、勿論、曲によっては、瞬間的には、おっと思う場所もないことはないけど。
 で、困り果てて解説を読む。「耽美そのものの世界が広がる」中山康樹著上記の本、174ページ。青木和富氏のライナーより「官能的ですらあり、そしてエロスの世界でもあろう。」
 なんじゃそりゃ。まあ、中山康樹さんの言う事は、まあ表現の自由だし、感覚の問題だし、そう思うならそうだろう。でも、官能的って何それ? この音楽聴いて興奮するの? まあ興奮してる時にこの音楽はハマルかもしれんけど。おまけに読み進めると、こんなことも書いてある。「ポール・ブレイは、次々と女性を換え、そして女性が変わるごとに音楽が変わる。いかにもエロティックな存在なのである。」
 恥ずかしくないのかな、こんなこと書いてて。青木さんって、特に印象に残るライターでは無かったんだけど、これでどういったレベルの書き手か、実によく分かった。
 甘美だの耽美だの、どの部分にどう感じたのか、さっばり訳の分からんワタクシには、具体的に説明して欲しいと思うが、エロティックだとか、女換えたら音変わったとかいう話には、最初っから付き合う気は起こりませんな。
 中山康樹氏にしてからが同書同ページにて「"耽美"を厳格な視線とタッチで描く。甘さやムードに流れることは、いっさいない。」と書く。でたでた。青い赤鉛筆。
 耽美。美にふけり楽しむこと。こう、ワタクシの持っている広辞苑には書いてある。広辞苑とは言っても、デカイ辞書ではなくて、電子辞書だ。簡単に調べられる。軽い。いいことばっかりだ。
 甘さやムードに流されることのない"耽美"ってなによ。あっ。そうか。分かったぞ〜。f(^^;)
 ムチでしばき、縄で縛り上げ、蝋をたらりたらり、と。こういう訳ね。確かにワタクシには全く甘さもムードもエロも何にも感じず嫌悪だけだが、そういった世界があることは知ってます。
 ワタクシには、用がありません。
 
0710243.jpg  ミュージック・マガジン誌1985年度中村とうよう氏ベスト10アルバム。85年1月号、3月号にて同氏10点満点の採点。もう絶賛していたアルバムでした。
 激賞ともいえる絶賛ぶりで、学生時代もすぐに買い求め、めちゃめちゃ聞きまくっていましたね。だからまず今回聞いて思ったのは、懐かしい〜っと。スティーヴ・コールマンの時と似たような感じですか。
 で、最初はライヴから始まるんだけど、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ以上に、画像が欲しくなってしまいましたですよ。当時はそんなこと全く思いもしなかったのに、想像力の衰退が激しくなっているのでしょう。悲しい。観客席から笑い声が聞こえて一体感を感じるごとに疎外感が。悲しい。
 一応邦題は、そのまんまなんだけど「歌うのなんて好きじゃない」。好きじゃない、といいながら歌ってるんだよね。そうしたアイロニー的なユーモア感覚はアルバムを通してずーっとある。
 レコードでのB面、CDだと単なる後半部分はスタジオ録音で、ライブとは2年ほど録音時期が違うらしいんだが、それは全く感じない。表面の肌触りは異なるけど、きちんと同じテンション同じ目線同じ感覚で貫かれてて、違和感なく楽しめる。
 それにしてもホントに聴きやすいんだよね。コード分解がどうとか、モードとか、フリーとか、小難しいことを考えなくても、ユーモアたっぷりのメロディーや展開に、にやにやしながら、アドリブをゆったりと楽しめる。
 昨日の戦死者たちのバラッドも編曲はこのカーラ・ブレイがほとんど手がけたらしいんだけど、全くもって素晴らしい。あと、チューバの音がいいね。柔らかくて。ブラスバンドって感じが強くして、それも懐かしく感じる要因かな。
0710242.jpg  ミュージック・マガジン誌や、中山康樹氏の本などから聴いてるけど、全く偶然に手元に入り、それはとてつもなく安く購入したとかが主だけど、スッと出て行った、要するに売れた、ようなものでも、もしかしたらとてつもない名盤かもしれない。世評はどうであれ、自分にとって掛け替えのない1枚が見つかるかも知れない。そんな思いを込めてカテゴリ名を付けましたが、フリーマーケットに掘り出し物などほとんどないように、結局は見つからないかも。
 でも探さないと見つからない。求めないと得られない。告白しないと、そもそも始まらない。ちと違うか。まあ、そんなことで、全くランダムに適当に聴いたものをここに集めます。ロックとかポップス等は、違う場所で書いてるので、ここにはいるのは、まあフュージョン、いわゆるポピュラーボーカルもの、という感じになると思います。
 で、早速ですが、The Yellowjacketsのライヴ。バンド名はかっこいい。明るく軽く適度に流れて行くまさにフュージョン。ライブということで、その軽いノリも徹底している。以前はどうせ消費されるだけの音楽だとか、BGMだとかで散々馬鹿にしまくっていたフュージョンだけど、今や全ての音楽は素晴らしいという全肯定派に転向、ほんまかf(^^;)、したワタクシはこれも十分に楽しみました。ただ、多分二度とは聞かないというだけです。1991年の作品でした。
0710241.jpg  初めてかな、ジャズボーカルもの。選定は、1984年度ベストアルバム、竹村淳さんから。
 で、実はジャズ・ボーカルって一体なんなんだろうか。ポップスと違うのか、ロックとも違うのか、なんか、よー分からん。ま、ロックとは明らかに違うんやけどねえ。
 バックにジャズ・ミュージシャンが入ればいいのかな。確かにスタン・ゲッツのソロは素晴らしいものがあるけど、2曲だけだしねえ。ただまあ、やっばり上手は上手だよね。この人、目が見えないらしく、レコードジャケットには、点字の印刷もある。CDは確認してないんだけど、やっばりこういったギミックはレコードぐらい大きくないと迫力もないやろな。
 ビリー・ジョエルの「ニューヨークの想い」から、誰もが知ってる賛美歌「アメイジング・グレイス」まで10曲、多彩に歌いこなす。声量もある。上手である。そんなとこですか。
0710233.jpg  ボビー・ハッチャーソンのアルバムのソロで耳に引っかかった、ハービー・ハンコック。自身のリーダー・アルバムでは違う意味で耳に引っかかりました。
 このイキなジャケット。ハービー・ハンコック本人と奥さんなんだと聴けば、なんだかなあ、となってしまうが、幸せな写真であることは間違いない。オレもこんな写真撮りたいよ〜。この幸せものめ。
 で、アルバム。要するに、幸せなんだあ、と。ジャケットに影響された訳ではないが、しみじみそう思った。主張もすぎると鬱陶しいが、計算高いよりゃ遥にマシってもんだよ。でも、計算高くできるっていうのは、要するに余裕があるということで、幸せなんだよね。
 はい。もはや完璧なJAZZでしょう。抑制の効いたソロ、耳障りのいい編曲、美しいばかりの音。そして嫌みなまでにマイナーな楽器、フリューゲルホルン、ベーストロンボーン、アルトフルートを使った独特のアンサンブル。お見事です。
 だけど、ここには、ワタクシがJAZZに求める、過剰なまでの主張はない。表現に向かわないと犯罪者になってしまうような、切羽詰まった感情がない。聴いてるこっちも、居ても立ってもいられないような興奮が伝わってこない。あるのは、豊かで魅力的でクールで知的で最高に幸せな音楽だけだ。
 多分、幸せになれたら、このアルバムの真意とか神髄が伝わってくるんだろう。幸せを求めていない人間はいない。このアルバムが心底楽しめるのは、きっときっと、幸せな人なんだろう。
 行動は最も効果的な暗示だという。よし。楽しい。このアルバムは最高である。だから、オレも幸せなのだ。
0710232.jpg  邦題は、戦死者たちのバラッド、チャーリー・ヘイデンとリベレーション・ミュージック・オーケストラ。1983年度脇谷浩昭さん選定ベスト10、1983年12月号で中村とうよう氏8点。どうでもいいが「さん」「氏」と使い分けなってないな。全然意味なく、雰囲気で。統一しないとなあ。
 で、このアルバム、邦題をみてもそのものだし、反戦というものを強く訴えているものらしい。だけど、音聞くと、そんな重たい雰囲気は一切ない。エルサルバドルの曲とか反戦民謡歌とか採り上げているとのことだが、特に押しつけがましいこともなく、あるのはシンプルで聴きやすいテーマとアンサンブル。タイトルがなけりゃきっと反戦とかよく分からないと思う。んでも、曲とか知ってる人、追求する人にはきっちりと主張が分かる、という理想的なアルバムになっていると思う。
 ジャズの定義は色々とあろう。ワタクシの考える一つに、ようするに主張である、ということがある。要はミュージシャンの発言だ。楽器に託して言いたいことを言うのである。で、何が言いたいことなのかというと、これが歌詞のない音楽の楽しさ愉快さ自由さなんだけど、それは聞き手が決めていいのである。f(^^;)
 楽しい悲しい愉快死にたいもうダメだ。何でもいいし、聴くたびに変わってもいいし、どーでもいい。だけど、時にはミュージジャンが必死の思いで限定させようとする時がある。ここでの反戦なんかその最たるものだろうし、基本的には黒人音楽であるジャズは、人種差別の問題を常に背負っているとも言える。確かに自由に聴いてもいいとはいえ、戦争賛美や人種差別主義を嗅ぎ取るのは、あまりにあまりであろうね。
 一時、今となっては全く無理だが、学生時代は、日本で出版されているジャズの書籍は全部読んだと言えるぐらい本を読んだ。ジャズの出自がそうさせるのも仕方ない面もあるが、左翼の方々の思い入れたっぷりの文章にヘキエキした。
 また出版社側も、こうした風潮を積極的に利用していた。一例としてこういうものがある。原書タイトル「THE JAZZ SCENE」が、邦題「抗議としてのジャズ」になる。いつ抗議が始まるのか読み進めても、なるほど、全くそんな話出てこない訳である。特にそれを期待していた訳ではないんだが、タイトルに偽り大ありだよ。まあ、中身はそんな話が出てこなかった故に結構いい本である、という逆説的な名著なんだけどね。
 特にワタクシの大好きなフリー・ジャズは、かなり押しつけがましい。というか、押しつけがましくないフリー・ジャズはない。だから、かえって思い入れたっぷりという聞き手と合致する。タマゴが先か鶏が先かで、押しつけがましさのオンパレードで辟易してた。
 ところが、ここでは、一切そんなものはない。大編成でいい編曲のジャズだ。そして、いい音楽を聴いた時に必ず起こってくるものとして、興味がどんどん湧いてきて調べて行く。そうすると、反戦という主張に気がつく。まさに主張したいことがある音楽の理想的な展開になる。素晴らしい。
 北風と太陽の話を思い出すな。
 ライナーを読むと、15年前にも同じコンセプトのアルバムを発表したが、圧力がかかり、ミュージシャンの思い通りのアルバムにはならなかったらしい。皆泣いて抗議したという。そして、今回はそのようなことがないように、名門レーベルECMを選び、納得の行く作品に仕上げたと。うむ。周辺のドラマも完璧やん。これで、その15年前の作品も聴きたくなって、早速注文を入れたと。すっかりのせられた感もあるが、いい音楽にはどんどんのせられましょう。
0710231.jpg  Vibraphon、ビブラホーン、要するに鉄琴は大変好きな楽器だ。独特の音色がなんとも言えん。で、JAZZの世界では、ビブラホーン、まあバイブとも言うらしいが、ミルト・ジャクソンという名手がいる。大好きな人で、クールに熱く黒いと言われておる。言われてるいるのでそういうものだと覚えているが、ここでバイブを演奏しているのは、ボビー・ハッチャーソンという御方。中山康樹氏の著作を読まなくてもいつか巡り逢ったであろう大物。その代表作がこれだと。勿論大変素晴らしい演奏なのであるが、まず耳にこびりついてきたのは、ピアノのハービー・ハンコック。ハービー・ハンコックといえば、ワタクシにはフューチャー・ショックとか、もうどうしようもないぐらいのキャッチーな御方、というイメージがあったのだが、ここでのピアノは実に素晴らしい。書籍通りに聴いてるから、次はそのハービー・ハンコックの代表作を聞く予定。期待するね、こりゃ。
 で、本作である。JAZZと言えば黒いとか熱いとか、すぐに言ってしまうし、みんな言ってる。また、自分もよく使うが、クールな熱さとか、冷静な興奮とか、赤い青鉛筆とか、これは言ってないか、何か言っているようで何も言っていない表現も横行してるが、確かにこうとでも表現するしかないような時がある。今がまさにそれ。ここにはアップテンポもありしみじみ聞かせるバラードありと多彩だ。しかし底には、常にクールなまなざしがあるように感じられる。体裁は誰もが知ってるJAZZである。この音を聴いてJAZZではない、という人は居ないだろう。そして表面上は熱くスイングする。
 だが。
 どこか醒めた計算されつくしているような目線を感じる。どこかで爆発してくれたらそれで安心もしようもんだが、それもない。こう演奏してるから、こう感じるんだろって言われてるような、こちらの受け止め方も計算されているような気がする。不気味だ。顔で笑ってなどというモノとは違う、冬彦さんを感じてしまう。あれ。春彦だったけ。夏彦? 秋彦? ところで、ジャケットの女性は奥さん? ハービー・ハンコックもマイルス・デイヴィスも臆面もなく、嫁さんの写真ジャケットに使うからなあ。
0710221.jpg  時間芸術。ちゃんと広辞苑に載っている言葉であるが、もう少しここでは意味をずらして限定させる。要するに、表現された時間につきあわないとアカン、ということだ。音楽はその最たるものだろう。
 ほかに映画もあるが、ことストーリーだけ追いたいって時、字幕だと倍速再生というむちゃくちゃな手段がある。むちゃくちゃでも、ストーリーだけなら把握できる。勿論邪道だし、それで映画を見た気分になってもらっては困るんだが、それでも、ストーリーだけ、セリフだけ、なら把握できる。
 本は人によって読むスピードが異なるから、時間的な強制はあるが、同じ時間を過ごす、という面ではいまいちだ。
 ところが、音楽だけはどうしようもない。倍速で聞いて音程変わるってことで、最近は音程を変えずに速度だけ変えて聞く装置もあるが、当然リズムが狂う。まあ、映画の時のようにストーリーだけ把握できるというなら、雰囲気だけは把握できるのかもしれないが、かなり特殊な才能を要するだろう。
 つまり、演奏家が1時間演奏したら、やっばりこちらも1時間は対峙しなけりゃならんのだ。
 さって。アート・アンサンブル・オブ・シカゴである。今や伝説のライヴ・パフォーマンスを行ったグループと言えるであろう。残念ながらワタクシは見ていない。見てないヤツはお馬鹿さん、らしい。ワタクシはそういう風潮が大嫌いで、敢えてビデオ等も見ずにライヴ・レコードだけを聞いていた。それでも十分凄さは伝わって来るし、感動するし、鳥肌ものだった。ちなみにマンデル・ホールコンサートというアルバムだったが。
 さってさて。ECMというJAZZの名門レーベルから出た、AAC(メンドクサイから略す)のアルバムである。1982年度ミュージック・マガジン誌脇谷浩昭氏選定ベスト10。1982年の2月号で中村とうよう氏が9点の採点の傑作アルバム。らしい。
 いや。傑作だと思うよ。楽しいし。中村とうよう氏が、好きかってに遊んでいるような演奏で密度は濃いとはいえないがゆったりしたこその良さを味わう、と書いてるが本当に上手いこと言うよなあ。
 子供の遊びちゃうか、と思わせるようなコンコンチキチキとかブーーーーーンとか。半分以上そんなんだもん。これを1時間ぐらいずーっと付き合う。勿論中には突然マーチになったり、飛んで行ったり喚いたり、ギリギリの所で集中力を切らさず居ると、最後の最後に大盛り上がりに突入。この5分だけのために80分ほどはじ〜と耐えるのだ。
 そうだ。この1時間のおあそび・・・・いやいや、助走時間があってこそのこの貴重な5分なのだ。そもそも本当の感動というものはそんなにお手軽に手に入るものではない。出会った瞬間に成就するより、10年かけた方が、最後やること同じでも感動の大きさは全く違うのだ。なお、この文章、かなり表現自粛しました。f(^^;)
 でも実際そうなのだ。たいく・・・、いやいや、静寂で深遠な序曲を聴き、自分の想像力を限界まで試され、最後に爆発する。まさに時間芸術の極地による傑作なのだ、これは。
 とはいえ、ま、その、もう一度最初から聴くかと言われりゃですね、いや、もちろん、そのですよ、きちんと味わうには最初から聴くしかないんですが、まあ、一度最後まで行ったら、やっばり、まあ、分かってるんだから、ちょっとぐらいは省い・・・、いやいや。ダメだダメだダメだ。やはりきちんと同じ時間を共有しないとイカンのだ。省いてはならん。
 かくもJAZZはキビシイ。  
0710211.jpg  ブルース集。確かに渋い。確かに上手い。確かに味わい深く、確かにブルース。
 確かに、もうええか、3曲目「BLUE RIFF」は名曲だと思う。ピアノトリオ+サックスというとても聞きやすいし、大好きな編成。
 時間もそんなに長くないけど、やっぱりこりゃ上級者向けではなかろうか。じ〜っくりとした観賞に堪えうるだろうし、奥も深そうだけど、うっかりすると寝てしまう。ブルースって、歌ものだとまだ歌じっくり聴けるんだけど、楽器だと結構まだまだツライものはあるな。
 要するに、ちょいまだ手ごわかったと。そういう訳すな。
0710202.jpg  ひょえ〜。今まで数多くの「チュニジアの夜」を聞いてきたけど、こりゃ最高だわいな。ウェイン・ショーターって、みーんな褒め称えているんだけど、今まであまりピンと来なかった、というか、本当の事いうと、ウェザー・リポートぐらいしか聞いたことなくて、大した御方だとは思っておりませんでした。すいません。
 とっころが、ここでのソロは全く持ってJAZZである。スンバラシイのだ。まあ後ろでばっしんばっしんどつかれたら疾走するしかないので、アート・ブレイキーの偉大さもまたもや再確認するのだけど。しっかし、アート・ブレイキーって、汗かきまくるとか何も考えずに叩きまくるとかいうイメージあるけど、いろんな要求にちゃんと応えられるんだなあ。ジャズフェスなんかでの、盛り上げ一辺倒なドラムから、きちんと計算したクールな演奏までハイレベルでこなせることを、この一曲で見事に実践してる。お見事ッ。
  とはいえ、3曲目の「SO TIRED」。このあまりにも馴染みやすいキャッチーなテーマに力抜けてんのか、力抜けてる所がいいと言えばそうなんやろうけど、ウェイン・ショーターのイッちょ上がり的なソロがどうも気になる。あんた、さっきのソロの迫力ドコ行ったのよ。後半ブレイキーに怒られて盛り返すんだけど。まあ、その後のリー・モーガンのオマエよー聞いとけ的渾身ソロがあるからええんやけど。フェイドアウトは辞めてくれ。
 
0710201.jpg  う〜〜ん。ワタクシの生涯で最も感動したアルバムの中に、マイルス・デイヴィスの「アガルタ」「パンゲア」がある。2枚組なんでなかなか気軽には聞けないのではあるが、この2枚にめぐり逢えた事は、生涯最も幸運な出来事の一つだと思っているぐらいに気に入っている。なんでこんな事を最初に書いているのかと言うと、この「ススト」、思いっきり、アガルタ、パンゲアしてるからだ。
 1981年度脇谷浩昭さん選定ベスト10に入選。中村とうようさんも、1981年4月号で満点評価で、年間ベスト10でも次点と、かなり評価が高い。おまけに解説の野口久光さんも、これがマイルスの新作だと言われたらしばらくはそう信じたかも知れない、とライナーに書いてある。これは相当の賛辞であるよね。
 確かに、これが実はアガルタ、パンゲアの前に録音していた、となると、目の玉飛び出るぐらいにびっくりして、あのマイルスがコンセプトをパクってた、なんてチビッてたかもしれん。それぐらいにはレベルが高く、緊張感溢れる音楽、JAZZに仕上がっている。
 今まあ、パクリって表現あるけど、形式というか、外形的なものを言い出せばジャズはパクリでないと成り立たないぐらいなんで、全然貶めるといった意図はない。4ビートやってても誰もそれがバクリであるとは言わないし、ましてやアドリブの展開やアイデアがパーカーのバクリだ、なんて言い出したらキリがない。そんな所にJAZZの本質はない。
 ないんだが、徹底的にそこからも飛翔し続けたマイルスがいかに偉大であったか、述べ出すと終わらないのでとりあえずは辞めておくが。う〜ん。確かにスゴイと思う。特に4曲めの「ニュー・ネイティブ」はスゴイ。デイブ・リーブマンというマイルスともやった御方のソロもスゴイが、日野皓正のコルネットは、まあ吾輩の頼りにならん素人耳では、マイルスを越えていると判断する。ソロは。音色も迫力も衝撃も。本当にスゲエ。14分もあるが、短すぎる。もっともっとこの音に身を委ねていたい。
 と、先に徹底的に褒めるのは、気に入らん部分をこれから書くからである。それはネットで調べたりしても誰もが褒め称えておる1曲目の「サークル/ライン」だ。曲名は実にかっこいいが。
 アガルタ、バンゲア、以下アガパンと略すかも、に十分対抗できるだけの素地があるからこそであるが、明るすぎる。快活すぎる。健康すぎるのだ。アガルタ、バンゲアの一種呪術的なおどろおどろしさ。不安にさせられ恐怖感を煽られながら身を委ねて行く背徳的な快感がない。いや、別に無くてもいいんだけどね、あからさまなアガパンなだけに、しかもそこに十分対抗できる素晴らしさがあるだけに、どうしても比べてしまうし、どうしても気になってしまう。そうして気になりだすと、キーボードの入り方、展開の変化の仕方、アガパンでマイルスが提示したコンセプトをなぞっている気がして、どうしても曲に入り込めない。特に何度も繰り返して聞いて、4曲目「ニュー・ネイティブ」を聞いた後は、どうしてもそこんところが気になって冷めてしまう。しかし、まあ、健康的であることが負になるなんていうのは、吾輩が病んでいるからで、このアルバムの最大の聞き所はここである、という世評に刃向かうものではありませんけれど。あ、そうそう。フェードアウトは辞めてくれ。
 あとはレゲエの変形リズムの3曲目「ガンボ」。これも明るいです。聞きやすいです。モノ足りません。2曲め「シティ・スノー」。日野皓正がいいです。病んでます。暗いです。惹きつけられます。最高に素晴らしい2曲の為、他の2曲がどうも居心地が悪くなってしまう。<br>
 しかし、それもこれもやっぱり音楽として素晴らしいからこそ気になってしまうんだろね。形式だけ、テキトーにアガパンしてたら、まるっきり音楽にならないだろうから。まあ、テキトーにできるほど、生易しい音ではないんだけど。<br>
 
101902.jpg  とにかく1曲目のタイトルチューンが素晴らしい。ベースがばびろんばびーんずばぼろんびんびょんと独奏から入り、ピアノがぴろろろ〜ん、ドラムはとんてかんちんとんてんかんちんと参加する。ドラムがすぐにちんちゃかちんちゃかと奏でるリズムが変わる。ピアノが受ける。いやがおうにも期待感で胸が昂ぶる。
 ピアノがご機嫌なメロディーを奏で始め、ベースとドラムが絡んで来る。ピアノがますます疾走し始め、堂々と悦に入ったソロを聞かせる。ぼ〜っと聴いてたら、針が飛んだと思うであろう。CDに傷が入ったと思うかもしれん。挑発的なソロをにやにやしながら聴きながら、更に疾走は続き、うきうきしてるとアッという間に終わるんよね〜。
 楽しい時間はすぐに終わる典型的な例であろう。
 アルバムは全く表情を変えて次の曲へと進むのでありました。
 それにしても。
 このジャケット。音が聞こえてきそうだ。これほどまでに内容とマッチした、茶目っ気たっぷりのジャケットもまた素晴らしい。
101901.jpg  ミュージック・マガジン誌は、1980年以前はニュー・ミュージック・マガジンと言っていて、ロック中心の雑誌だったのだが、1980年にリニューアルして、幅広いジャンルを取り上げる、分かりやすく言えば音楽の総合雑誌になった。そこにこそ魅かれて買い続けた訳だ。
 部門別のベストアルバムの発表こそまだ始まっていないが、執筆者による年間ペスト10と、毎月のレコード・レビューのジャズ部門の採点が始まった。
 ここから、注目に値するもの、ジャズ部門レビューの10点満点のものを中心に聴いて行こうと思う。中山康樹氏の著作、この後、後藤雅洋さんの著作等からも取り上げる予定だが、いわゆる60年代以前のジャズの名盤とは違った、現代のジャズ、という視点も無くしたくなく、全く別の評価軸で面白いミュージック・マガジン誌のジャズを、追いかけてみることにする。
 特に80年代前半は、まだ姉妹誌のレコード・コレクターズが始まってなくて、再発ものも取り上げられているので、それなりに、過去のミュージック・マガジン誌のジャズ感、まあそれは、中村とうようさんのジャズ感なんだけど、をなぞることも出来る。結構楽しみだ。
 で、80年のベスト・アルバム選で、中村とうようさんがジャズから1枚選んでいるのが、このアルバム。正確には79年の録音なんだけど、ライナーノートによると、米国ダウンビート誌の最優秀アルバム、フランス・ジャズ・アカデミー・オスカーなどに輝いているという名盤だ。
 1980年4月号で、中村とうようさんが満点評価。それもそのはず、という感じ。このアルバムは、もう15年前にも聴きまくっておりましたが、エリック・ドルフィーに捧げた1曲めの「ワン・フォー・エリック」から、3.4曲目にはコルトレーンの曲を取り上げていて、堂々とジャズの正当な後継であると宣言しているように感じられる。
 ジャック・デジョネットのドラムもごっついが、また、デイヴッド・マレイのバスクラも全く凄い。熱い。
 80年といえば、もう完全に一般的にはジャズは死んだと見做されており、フュージョンが席巻していた時期。マイルスも力尽きて未だ復帰して無かった時期だ。リアルタイムで聴いた人は、ジャズの健在と、ジャズの未来を力強く感じたことであろう。
101802.jpg  例えば4曲めの「34Skidoo」で聞くことの出来るソロは、巷間イメージされてるエヴァンスの繊細さというものは、あくまでエヴァンスの一面でしかないことを強く感じることができる。聞いてよ〜ん、聞き取れるかな〜、といった微妙なものではなく、おら〜、聞かんか〜い、といった一種強引な暴力的なまでの激しいソロを聞くことができる。圧巻の迫力である。
 アルバムはその後「Nardis」の大盛り上がりに繋がる。ストーンズの「ジャンピンジャック」に匹敵するかのようなこの盛り上がり。会場の規模も相対してる人数も比較にならないぐらい全然違うだろうが、一人一人に刻まれる感動は決して見劣りするものではない。
 ましてや、こうして一人スピーカーの前で陣取って聞いているのだ。音楽とは素晴らしい。
 
 なお、どーでもいいことだが、oneの方は、レーベルがブルーノートなのに、こちらは違ってる。どうも後にブルーノートに移ったようだ。詳しくことは分からんが、ま、中身の音楽には何の関係もない。
101801.jpg  ビル・エヴァンズのライヴ。音デカクして聞くと、ヒスノイズに少し驚くが、考えたらこれぐらいのノイズで驚くぐらい今は音がよくなったんだなあ。ちゃんと聞いていてちゃんと拍手する観客に「ワルツ・フォー・デビイ」の時とは違うと実感。
 ピアノ・トリオもめちゃくちゃ聞きまくっていると、なるほど、それなりには違いもなんとなく分かってきたような錯覚かもしれんがそんな気になってきた。で、次はベースだ。
 エヴァンズ・トリオのベートといえば、スコット・ラファロが伝説となっているんだけど、ここでのマーク・ジョンソンというベーシスト、悪くないと思うんだよね。悪くないどころか、すっごくいいと思うんだけど。曲以外、果たして聞き分けられるのか。うーむ。まだまだ先は長そう。
 
101701.jpg  久方ぶりに、中山康樹氏の最後のジャズ入門シリーズから、ビル・エヴァンスの「ユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング」です。実は前回の「トリオ'65」以降毎日聴いてました。
 中山氏いわく「最高傑作」(エヴァンスを聴け 278ページ)「痛いほどの美」(最後のジャズ入門 163ページ)と、大絶賛なのでありました。ところが、どうもワタクシ、ピアノトリオが分かっておらんようで、じっくりじっくりと聞かせていただいておりました。
 確かにいきなりの1曲めの、B Minor Waltzから、とてつもない緊張した音が出て参ります。そらそうやねんけど、もうスミズミの一音、それこそ呼吸から佇まいから全てを計算して作り上げてるようなピアノソロは、これを例えCDであっても聴いていて、時間を共有している、ということがこれほど幸せなことなのかと思わせる。ピアノソロの美しいこと。いや、ピアノソロ音痴、いや勿論ジャズ音痴、というか音痴そのもののワタクシにも、ピンピンと響いてきます。
 ただ〜し、但し、ただしなんすよ。中山康樹氏は、ボーナストラック完全否定派で、このアルバムも3曲のボーナストラックが台無しにしていると主張してます。ワタクシは、同じ値段なら曲数多い方が得やん、特にライブは。なんて感覚なんで、ボーナストラックは正直入っていた方が嬉しい。ところがっっ。確かにこのアルバムに関しては、ボーナストラックの3曲はイラン説に与する。
 確かに個々に聴いたら楽しかったりする。でも、この完璧なアルバムにこの3曲加えるかああ。わたくしもね。最初中山氏の文章読んだ時にはね。そんなに大げさな事言わんでもええやん。イヤやったら聴かんかったらええんやし。聴きたい人には得やん。などと思っていたのでありますが、大間違いでありました。ことこのアルバムに関する限り、まったくぶち壊しもいいところ。確かにこりゃ酷いっすよ。
 で、この3曲を聴いてへにょへにょになり苦笑いし怒りがやってきた所に、もう一度最初に戻って聞き直す。ああ、美しい。ああ素晴らしい。いつのまにか離れられない。そのうちまたへにょへにょやってくる。憤慨する。聞き直す。ああ、美しい。
 このサイクルから逃れることこそ、難しいのでありました。
 
011.jpg  昨日でミュージック・マガジン誌1位聴きは一応区切りがついたんで「JAZZとびっきり新定番500+500」から、2000年代のものをピックアップして聴きました。この本は4部門に分けて星付けてるんですが、そのうちの一つcool部門で5つ星。そしてもう一つgroove部門に4つ星と、この書籍の中でも、もっとも評価の高い一枚です。聴く前から、いやがおうにも期待に胸が高まりましたね。
 しかもタイトルが「The Trumpet Player」ですから。もう、この覚悟一発みたいなタイトルには、それだけで好印象ですよ。
 で、聴きました。
 ワタクシの最も好きなトランペッターといえば、クリフォード・ブラウン。勿論、他にも色々と楽しむ要素があるから、トランペットはクリフォード・ブラウンだけ、なんて乱暴な事は言わないんだけど、こと楽器プレイヤーとしてみたら、クリフォード・ブラウンが最高のトランペッターだと思う。
 さって。どうかね〜。
 なんてイジワルな気持ち満載で聴いたんだけど、こりゃ、びっくり。
 そりゃね。無人島に行くのにどっちか選べと言われたらクリフォード・ブラウン選ぶと思うんだけどね。アヴィシャイ・コーエンという一度覚えるまでは大変だが、覚えてしまうとゼッタイに忘れないイスラエルという全然馴染みの無い国のトランペットの音も、十分個性的で、十分刺激的で、十分聴く楽しみあるよ。ガンガン歌ってるしなあ。ビアノなしの編成も、自信と覚悟の表明なんだろう。といいつつ、どうも、偶然の産物らしいんだけど。f(^^;)
 勿論、あんまり聴いてないし、いい加減な事ばっかり言うんだけど、2000年代のジャズって、個性的で素晴らしいんだけど、自分の好きなことやってて、聴いてくれる人がいればそれでいいっていうか、それはそれで立派な態度なんだけど、ちょっとクールな感じを受けてます。特にこの本で紹介されているものは、そんな感じ。分かる人だけ分かればいいっていうか。まあ、それはどの年代でもあるんで、年代で区切るのも全く意味はないけど。
 でも、ここでの音は全く違ってて、どりゃ〜、オレの音聴いてみんか〜い、このトランペット聴かんか〜い、というゴリゴリ押してくる感じがめちゃめちゃいい。全くジャズ的なセンスのカケラもないジャケットも、そう思うと、らしくてかっこよく思えてくる。
   
101501.jpg  さて。2007年度から遡って聴いてきた、ミュージック・マガジン誌選定ジャズ部門第一位アルバム。1998年度の一位である本作が当時未入手だったので、思い切って86年まで遡ってから順番に近年ににじり寄り、そしてその1998年度第一位に辿り着きました。エライッ。これで一応20年間の1位を聴いてきたことになるな。良く頑張ったというか、やっばり音楽を聴く、特にジャズを聴くのは非常に楽しいということだけは間違いなく思い出しましたね。
 で、順番が狂ったのは単に入手に手間取っただけの話なんだけど、この作品を最後に聴いた、というのはまさに神の意思を感じざるを得ません。大げさな。
 ジャズという固定観念を時にはスルドク突きつけられ、おんどりゃこれをどう思うんやと、半ば脅迫的な音もありましたが、これこそ、その最たるものでありましょう。頭にまず浮かぶセリフは、これって、ジャズなの?
 全くもって何かを書くということすら困難を極めるこの作品。仕方なく選評を読む。宮腰浩基さんの文章を読むと、ハウスとか出てくる。そういう音楽ジャンルがあるのは知っていたが、全く聴いたことがないのでワカラン。来年では意味がない、という記述もあり、まさに現代性というか、1998年でこその第一位であったことが読み取れるが。うーむ。
 ジャズは音楽の総合格闘技、というのは好きな表現で紹介したことがあるけど、これはハウスを少しでもかじってないと、なかなか楽しめないのかも。だけど、ボクシングを知らなくても総合格闘技だけでも十分楽しい所もあるにはある。
 2007年、10年後の今聴いても、このおどろおどろしさはなかなか他で聴くことは出来ないと思うし、聴いてると、ビッチズ・ブリューの音とジャケットを思い出す。迫力とかスケールとか威圧感は全然違うけど。なんて思って少しこの、ベニー・モウピンという人を調べると、ありゃっっ。
 ビッチズ・ブリューでおどろおどろしいバスクラ吹いてんの、この人なんや、この人。な〜るほど。そやったんかあ。こうしてきちんと繋がることがあるからジャズは面白い。やっばりこれはジャズやね。f(^^;)
 そう思って本作を聴くと、奇妙に親近感が沸き起こってくる。ゲンキンな奴。しっかし、これを聴いて、ビッチズ・ブリューをなんとなく思い出すとは、サスガ吾輩だ。なんちって。
 なるほどマイルスの蒔いた種はこうして脈々とつながり、育っているのね。ジャズ界最大の問題作は、さらにまた問題作を産んでいた、と。
 ジャズは死なず。
 
10141.jpg  1997年度ミュージック・マガジン誌選定第一位はビリー・ハーパー。お名前は存じ上げておりましたが、実際に音を聴くのは初めて。ミュージック・マガジン誌の選定といえば、もう最先端ゴリゴリの音か、安らぐ歌ものか、ホッとするビックバンドか、というイメージであったのですが。
 思いっきり正統なジャズの継承、という感じでした。解説を読むと、いきなりコルトレーンの話題から始まっていて、コルトレーンの遺志を継ぐ、なんて書いて有ります。なるほど、もろコルトレーンな所があったりしてにやにやする場所は確かに有りますが、勿論それだけではありません。
 コルトレーン好きなんです。ああ、良かったね〜。という牧歌的な時代ではとっくになくなっているのですが、丁度10年前の本作も、決してそこにとどまらず、ジャズっちゅうのはこうやと。ビリー・ハーパーさんの強烈なメッセージを存分に浴びることができます。
 個人的にはフリージャズこそジャズの正当進化であると思いますが、また時代の前衛とは少し違うとは思ってます。そすると、ここの音にこそ、まさにジャズの正当進化、精神の継承、といったものを強く感じるのでありました。
 なんてエラソーなんや。f(^^;)
10131.jpg  1996年の第一位は、実質的には93年に続き、カサンドラにとってはその次作になる「ニュー・ムーン・ドーター」新月娘。
 ワタクシは、いわゆるスタイル的には、フリージャズが好きである。本当は、フリーが少し覗いたぐらいが楽しいであるのであるが、理念的思想的には、ジャズはフリーに向かうものだと思う。だからこそ、そこへ向かい到着する寸前である音が極めて貴重で素晴らしいと思う。前へ、が感じられる。そこがいい。具体的にはエリック・ドルフィーね。
 フリーは、一見訳分からずデタラメで、ともすると単なるコケ脅し的な演奏になる。正直言っちゃうとコケ脅しも大好きなんだけど、そればっかりというのもやっばり飽きる。二度目からは白けてしまうしね。んでも最初はそれに圧倒されてしまう瞬間もあるし、確かに否定しきれない魅力はある。
 だけど、前作と、ここでのカサンドラの音楽を聴くと、初めて聞いて衝撃、次も発見、聞くごとに更なる魅力がある。このようなアルバムはなっかなか無い。いや、きっともう惚れてしまってるんやろなあ、この声に。曲聞く前にドキドキ、会えるだけでドキドキ。いざ会うともう胸が苦しくなる。一言一言、聞き漏らすまいと必死になる。丁度U2の「恋は盲目」という曲もやってるし。ちなみにモンキーズ「恋の終列車」もやってます。
 要は自信、ということなんやな。奇を衒わず本道を歩く。こうしたアルバムに出会えた時、音楽を聴いていて本当に良かったなあと思う。
101201.jpg 1995年、ミュージック・マガジン誌ジャズ部門第一位は、去年に引き続き、グレアム・ヘインズです。しかし、これがまた難解なアルバム。何回聞いても、どうも腑に落ちない。
 ヴァーノン・リード、ブランダン・ロス、ジャン・ポール・ブレリーという三人のギタリストが参加してるということで、ギターソロは確かに凄い。それでも、重ねられたらどれを中心に聞けばいいのよ。まだそこで耳の訓練が出来てないから、何度も何度も聞くが、それでも聞こうと決めたラインしか耳に入ってこず、トータルの音楽像が掴み難い。
 そうこうして戸惑ってると、更に戸惑う女性ボーカルの歌声が。うーん。ジャズって本当に奥が深い。てか、ちょいついて行けん・・・。
101101.jpg  1994年度第一位。グレアム・ヘインズの「グリオッツ・フットステップス」。
 出だし一発の勝負、みたいな所があるマガジン誌選定の1位シリーズなんだけど、今回もまたやられました。一発、という瞬間ではないんだけど、まあ、見事に理想通りの出だしの1曲目。完璧に入り込みました。ほんで全然リズムの取れない、微妙にズレまくる拍子が気持ちいい2曲目、これはシタールなの? それともタンピューラってやつ? 不思議なびよ〜ん、ぼよ〜ん、ばよ〜ん、ぶよ〜んて音に溺れる3曲目、確かこれトーキングドラムだよねって4曲目、フェードインで始まるってのも珍しい5曲目、ソロの出だしの気持ちいいラストの6曲目。うむ。もうツボを刺激しまくりでトータルタイムほぼ1時間、もう堪能しまくりました。
 それにしても、ジャズは総合格闘技、というMOONKS主張の見本みたいなアルバムですわ。それでいて、これはジャズである、現代の、という嬉しい1枚。んでも考えたらこれ、94年やったなあ。13年前になるんかあ。ということは既に歴史の1ページなんやなあ。時の流れは全くもって早いね。
 
101001.jpg  久しぶりの歴史名盤シリーズ、というか、中山康樹氏の「最後のジャズ入門」に掲載されているCDを聴いて、耳を復活させようという狙いだ。なんでこんなに間が空いたのかと言うと、実はこのアルバム、オークションで安価だったんだけど、配送トラブルで届くのが遅れた。f(^^;)  で、早速聴いた。
 昨今のマガジン誌1位のビビる緊張感はなく、リラックスムードで聴きやすく、これが果たしてジャズかと悩むこともなく完全に誰もが考えるジャズであり、しかも40分程度と実に聴きやすい。故に何度も何度も聴いておる。確かに気分良くかっこいいフレーズを楽しむ。
 しかし、である。
 例えば、この後「あなたを愛して」とか「愛と勇気とジャズ」とか「ジャズが聴きたくて」とか「君となら何聴いても幸せ」なんていうテキトーなジャズピアノトリオを聴いても違いが分かるのだろうかという不安は相変わらず付きまとう。恐怖神経症やないか。そんな病気あるのか知らんけど。
 んで、試しにそういったアルバムを聴いてみようかとも思うのだけれども、そんなアルバムは買うのが恥ずかしい。そうだ。そんな時の通販、ネットだ、と思ってオークションで安く出てたので入札したのだが、敗けた。そんなアルバムに高い値段付けるのはもっと恥ずかしい。
 てなことで、いつになったら比較できるのかワカランのだが、そのうちきっと。
 あっ。全然このアルバムの感想書いてない。再演集、ということで聴いたことの有る曲が多かった。なるほど、リラックスしてテンポアップ、軽く仕上げました、という所がエライ。だいたい、軽く済ませました、と見える時ほど、かえって大変なものだ。凡人は、すぐに大変だ大変だと言いたがる。しかし、そこは巨匠。大変さを微塵も見せず、リラックスして聴いてな〜、てな感じ。こちらも大変リラックスして聴きました。それでも「ハウ・マイ・ハート・シングズ」が始まった瞬間は、グッと耳を引きつけられる。このアルバムの最高の聞き所ですね。
 注)タイトルの才媛って、本当は女性の事を言うんだけど、エバンスの世評の女性らしい繊細さと、再演集ということで、ひっかけました。用法間違ってますけど、許してね。f(^^;)
2007100902.jpg  年度別1位をずーっと聴いてきたんだけど、ちょっと例外的に、1993年度の2位のアルバム。マーク・ラパポートさんが同率1位を強く主張した結果の2位、ということで、寄り道ではないんだけど、次の1位に行く前に少し聴いてみました。
 この「ブルー・ライト」と昨日の「サード・イヤー・レシテーション」がトップ争うって、勿論そういうことも当然あっていいのだが、まるっきり違う種類のアルバムでした。昨日の「サード・イヤー・レシテーション」が初見から凄い衝撃で、一期一会、音楽との出会いも最初の瞬間がまず大事だと思っているワタクシからすると、もう完璧なまでに衝撃的なアルバムでした。
 比べると、こちらは、もうじっくりゆっくりたっぷりとジワジワっと染み入るアルバムでした。カサンドラ・ウィルソンのブルー・ノート移籍第一弾だったようで、なるほど、ワタクシが15年前に聴いていたM-BASEの音とは全然違う。ロバート・ジョンソンやジョニ・ミッチェルの曲まで取り上げてる。
 ロバート・ジョンソンがそうであるように、このアルバムも、聴けば聴くほどいろんな発見があり、また落ち着いてゆっくりと音楽に浸ることが出来る。
 まったく違う2枚のアルバム。そしてどちらも完璧なまでに素晴らしい出来。なるほど。どちらがトップが選べんわ、こりゃ。
2007100901.jpg  出だしの音一発でドタッと倒れた。まさに瞬殺された。枯葉がまさかこんなんになるか、という感想は暫く経って生き返ってから。音楽の持っている力、ジャズの持っている力、そんな事を色々と考えたし、勿論その全てがここにあるからこそ、の出だしの音一発だったんだろな。
 1993年、ミュージック・マガジン誌選定、ジャズ部門第1位。選定はマーク・ラバポート氏と後藤幸浩氏。ちなみにマーク・ラバポート氏は、2位のカサンドラ・ウィルソンの「ブルー・ライト」との引き分けを主張とのこと。この後で聴いてみよう。
 デイヴィッド・S・ウェアのテナーサックスの音にも驚いたが、更に耳に入ってきたのは、マシュー・シップというピアニストの音。このキャラが立ちまくりの4人の中でも、とことん立ってるこのピアノ。惚れた。リーダーアルバム探そう。
 最初と最後に、スタンダードの「枯葉」。聴き比べが素人のワタクシに与えられた楽しみ。悠雅彦さんの解説によると、倍音奏法と和声変化に基づいたフリー表現の違いであると書いてある。なるほど、プロは凄いもんだ。いいよなあ。ま、そういうプロの感覚とは違っていても、素人は素人なりに感動しているのであった。
 
2007100802.jpg  ダーティ・ダズン・ブラス・バンド以来のビック・バンドが、1992年度のジャズ部門第1位。
 よくジャズに関して書かれたものを読んでると、黒い音とかいう分かったようなワカラン表現を良く読む。それなら、このアフリカの方々によるものなんて、真っ黒けっけ、ということになるのかな。なんせ黒人のルーツなんだし。だけど、きっとそう思って聴くとまるっきり裏切られる。
 多分勝手に思い込んでる黒い音、というのなら、ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの方が黒いと思う。まあ、きちんと定義されていない表現についてあれこれ言うのもむなしいもんだけど。確かに音を言葉で表現するのは難しい。なんか、こう、音が柔らかいっていうか、余裕あるっていうか、まろやかなんだよね。めちゃめちゃ洗練されてるし。ビッグ・バンドということで、どうしても比較対象にしてしまうのがダーティ・ダズン・ブラス・バンドではあるんだけど、より落ち着いた、よりゆったりした躍動感が堪りまへん。
 音楽は世界の共通語、なんていう寝言もよくあるけど、こんな楽しい音楽を聴いてると、素材は一つでも色んな所にある魅力をそれぞれが勝手に見つけ出して勝手に楽しめればいい訳でして、いい音楽いうのはやっぱり世界の共通語なのかもしれんと思ったりする。でもほんと、ビッグ・バンドものって、ジャズに興味がない人にでも楽しめるんやないやろか。
 いつもは、変な音楽聴いてるんやなあ、とボヤいている子供に一回聞かせてみよ。
2007100801.jpg 1991年度の1位は、ジャン・ポール・ブレリー。確かに当時は聴きまくった記憶がある。とはいえ、実はこの91年だけじゃなく、もうこの2年ほど前、89年ぐらいから徐々に音楽から離れて行ってたな。だから、ジョン・ポール・ブレリーの作品自体はよく聴いていた記憶があるけど、この作品は今回初めて聴く。中古で非常に安価であったが、なるほど、という感じが。
 選者の一人、瀬戸蓮ニさんが書いてるけど、1曲目は確かにかっこいい。アドリブも冴えてると思うけど、ラストの曲のソロはちょっと退屈、ではなくて、退屈極まる。瀬戸さんは、これが1曲目だったらこのCDを捨てた、とまで書いてる (1992年12月号110ページ)けど、こちらはラストだからこそ余計に気になった。中間に入ってたら中だるみ、程度に思ったかもしれないけど、ラストにこれじゃ、イメージ悪くなりまくり。反動ですぐに1曲目を聴くんだけど、流石にちょい飽きてきた。f(^^;)
 マガジン選定の1位のアルバム、特に好きになれなくても、それなりの心意気というか緊張感のレベルの高さは常にあったと思うけど、これはなあ。
 初めて、選定にはてなマークかな。ということで、この年の他の作品もいずれは取り上げて行こうと思う。ジェイムス・ブラッド・ウルマーが5位に入っているので、期待だ。って別に選定自体に文句言ってる訳ではないんだけど。
20071007-2.jpg  さて、ジャズ部門、初の日本人1位がこの1990年度のフェダイン。本当はフェダイーンとイにアクセントあるらしい。フェダインという表記は、帯に書いてあるから、まあ、それでいいんだろう。
 この年は日本人の当たり年らしく、ベスト5に3枚入っている。おいおい聴いて行こう。
 中山康樹氏なんかは、日本人がジャズをやるのは恥ずかしいとか、日本人のジャズはワカラン、などと発言しているが、こうして聴いてみると確かになんか、妙な分かりやすさとか親しみやすさとかあるかもしれん。もう、めっちゃめちゃ楽しいアルバムだった。だけどまあ、日本人だから、なんて言ってしまうとなんじゃらほいって感じはするけどね。ライナーで、このライヴを見たジョン・ポール・ブレリーが驚いたってあるけど、まあ、そりゃそうだろ。
 ところで、7曲目の「フワルンバ」って曲、どこかで聴いたことあるよね〜。でも、どれもだいたいどこかで聴いたような懐かしいようなメロディーなんだけどさ。やはり日本人だから基礎知識共有してるのか。と思ったら、5曲目はアメリカ民謡だった。なんじゃそりゃ。f(^^;)
 ニヤニヤするようなデーティダズンとは違うけど、聴いててカーッと熱くなってくるのはどちらも一緒だ。素晴らしい。
20071007.jpg
 1987年に続いて、1989年もウィナー、ダーティー・ダズン・ブランバント。日本盤がジャケ違いということで、ちょっとその写真も欲しいかなとも思ったんだけど、ジャッケット写真のためだけにお金はだせるほど裕福じゃないからなあ。そんなお金あったら、新しいCD買うよね、ま、普通は。
 で、ダーティ・ダズン。やっばり最初の衝撃が凄くて、勢いはないんだけど、その分落ちついて聴けるし、勿論、落ち着いて聴くことのできる、まあ、十分鑑賞に耐える音楽なのは間違いない。
 けれどもけれども、87年盤があんまりスバラシすぎて、ちょい物足りなさを感じてしまったりもする。その分、ディジー・ガレスピー参加してるし、パーカーの曲も取り上げてて、更にはブランフォード・マルサリス呼んでる。まあ、いいんだけどね。中山康樹氏のいう、ボーナストラックに通じる所があって、結構この曲、CDのレベル下げてると思うなあ。逆ボーナストラック現象で、再版分から、これを落とす、というのはどやろ。f(^^;)
 シツコイけど、例えば2曲目のタイトルチューンなんか、本当に素晴らしい出来なのに、わざわざバーカー取り上げて、しかも、ブランフォード・マルサリスでしょ。う〜〜ん。不要だ。
200710062.jpg  今までは基本1日1枚だったけど、あんまりそういった事にこだわるのも意味がないと思って、今日は2枚目。というか、聴きたくなって聴きたくなって仕方なく続けてスティーヴ・コールマン聴きました。
 ミュージック・マガジン選定、1988年度ジャズ部門1位。選定は去年と同じ方。考えたら2年連続ウィナーなんだな。初めてで最後じゃなかったかな。聴いてるこっちも同じように感動しておりました。当時も不思議だったんだけど、レーベル変わってるんだよね。個人的にJMTと、minur musicを追っかけてたから、このレーベルは追いかける余裕がなかった。名前は一番かっこいいんだけどね。
 最初の衝撃の出会いが凄すぎて、若干印象薄かったんだけど、相変わらずスンバラシイ音楽であることは間違いない。当時は、ここにこそこれからのジャズがあると思って、旧態としたジャズを全て否定した。例えば全てのブルー・ノートが否定の対象だったした。過激だったなあ。今はそんなことは思ったりはしないけど、この音楽に可能性賭けて聴いてたのも間違ってなかったと思う。
 それにしても、今日は疲れた。それが、とても楽しかった。  
20071006.jpg  1987年度のベスト1です。ミュージック・マガジン誌、選定は瀬戸蓮ニさんと脇谷浩昭さん。スティーヴ・コールマンも2007年の今現在の状況が全く分からないけど選者のお二方もどうされてるのかな。いや、いずれも活躍していない、という意味ではなくて、単純にワタクシが離れていたから、今どうなっているのかな、と思って。
 とにかく、懐かしい。聞いた回数はゼッタイに3ケタは行ってる、多分ジャズだけじゃなくて、全ての音楽、CD、レコードの中でトップ10に入るぐらい聞きまくってた、お気に入りのもの。今聞いても全然古くなっていない、と思うんだけど、個人的にかなり聞いててしかも15年は空いてたから、まず懐かしい、という思いが先にたってしまう。
 カサンドラ・ウィルソン、ジェリ・アレン、グレアム・ヘインズもこのアルバムで知った。
 ブルー・ノートやECMを筆頭に、レーベル聴き、というのもやってたが、このJMTのものは当時全て集める勢いでレコードを買ってた。全て懐かしい。確かに全ての情熱をかけて聴いてたよ。1音1音、瞬間の音を全て聞き逃すまいと必死になってた。それだけの価値のある音楽だった。いや、音楽だ。アカン。なんやしら、涙出てきよる。
20071005.jpg  さって。2006年から順に遡ってきたミュージック・マガジン誌のジャズ部門ベストアルバム選定盤聴きだけど、昨日1999年の分を選定し、本来は今日は1998年の分なんだけど、ちょっと流れをこの辺で少し変えて、1986年の1位に飛ぶことにします。
 実は1998年分の1位のアルバムがまだ未入手というだけなんだけど、飛ばすよりは最初からいこか、という感じですね。で、これが発表された1986年は、ワタクシ、ジャズ好き昂じてミニコミ誌発刊してますね。このweb版の元です。この創刊号にもこのアルバム取り上げてて満点差し上げてます。もう一人のレビュワーも満点なんで、やっばりいいものはいいと。
 特に分かりやすいんですよね、このアルバム、このグループは。ジャズ聴いて小難しいことこね繰り回して篭ってる時なんかは、このアルバム一発で外に出て踊りたくなる面白さと勢いがある。特にスーザフォンのうねりまくり踊りまくりのベースラインは堪らんで〜。
 結構こういうアルバムもジャズ入門にはいいかもしれんな。といってもこれだけで十分完結しちゃってるんで、あんまりこれにはまりすぎても抜け出せないかもしれんが。
20071004.jpg  さて。1999年のマガジンでのジャズ・アルバムですが、これが大変な事が起こっています。1999年のベストアルバムを発表するのは2000年の1月号なんだけど、これが、なぜか、ジャズがカットされていてありません。1987年、つまり20年前にこのジャンル別のベストの発表が始まったのですが、この年のみ、ジャズ部門の発表がありません。一体どういうことだ? 今さらながら編集部に抗議のメールでも送っておこう。後で振り返る時に困るじゃないのよ。
 って訳で、この年には一体どんなアルバムが発表されていたのか。幸い、マーク・ラパポートさんが、自らのコラムでベスト10を発表してて、また、松永記代美さんと宮子和眞さんもベスト・アルバムを発表しているので、その中からジャズ・アルバムだと思われるものを勝手に抜き出します。
 まあ、この3人のベスト見てたら、ジャズ部門は十分だと思うんだけど、順位がないんよね。順位は最終的にはどうでもいいんだけど、順位を決める、1位になるっていうのは、やっばりそこに何かがあると思うんで、それを確認する楽しみがないのはちょい残念だ。
 それでは、松永記代美さんと宮子和眞さんの二人があげているアルバムで、カサンドラ・ウィルソンのマイルス・デイヴィス、トリビュートアルバムを。
 マイルスと言えば中山康樹氏だが、氏は、マイルスのトリビュートアルバムにろくなものがない、聴く必要はないって言ってる。確かにそんなアルバムも1枚聴いたけど、これは全然そんなことなくって、スンバラシイ出来だ。
 中山氏は、そもそもマイルスにトリビュートアルバム作ったって、天国で「So what?」なんてツブやいてるゼ、なんて書いてた。けど、ここでのカサンドラは、マイルスにどう思われようと別にこっちが好きなんだからいいじゃない、誰に何思われようとやりたいことやるのよっていう開き直りがあって、そして特に無理な事してるんじゃなく、滲み出る自信というものが感じられる。マイルス作品だけじゃなくって、オリジナルもきっちり入ってるしね。
 聴いてて、ジョニ・ミッチェルの「ミンガス」を少し思い出した。その後解説読んだら、きっちりと触れられてた。みんな思う事は一緒なんだなあ。
 カサンドラと言えば、デビュー時にはめっちゃめちゃ好きだった。ブルー・ノートというジャズ界きっての大メジャーレーベルに移った時は、ワタクシ、ジャズから離れておりまして、どうなったのか全然知らなかった。だけど、これを聴く限り、やっばりカサンドラはカサンドラ。CD集めないとあかんやんかあ。幸いカサンドラって中古で値崩れしてるんで、集めやすいんだけど。なんでかなあ。寺島靖国が悪魔のささやきって言ったからかなあ。まあ、ワタクシにとっては凄くラッキーなんですけどね。
 晩年マイルスが好んだ、タイム・アフター・タイムもとにかく秀逸。シンディ・ローパーのオリジナルも、マイルスのカバーも、そしてカランドラのカバーも、みんないいね。
20071003.jpg  ミュージック・マガジン誌選定、2000年度ジャズ部門1位です。ニルス・ペッター・モルヴェルの「ソリッド・エーテル」。うーん。気持ちいい。こりゃ凄いわ。ミュージック・マガジン誌選定ものでは、なんか久々というか、初めてトランペット聴いたのもちょっと嬉しい。パーソネル見ると、ほとんどの曲でツインドラムだし、もうどこがジャズやねん、という、マガジンベストものいつもの疑問が浮かぶが、盲目的なジャズファンとしては、こうしたとてつもなく素晴らしい音楽はジャズである、あって欲しいと、至極勝手に思い込みたいところ。オリックスはイチローを仕方なく手放したけど、ジャズはモルヴェル手放したらアカンで。なんのこっちゃい。
 疾走する中、トランペットは聴かせるし、間に入るボーカルも素晴らしい。そしてCDの最後にぽつっと短いボーカル曲が入るんよね。泣くんよね。思わずもう一回聴きたくなるんよね。1曲目の最初、トランペットが啜り泣くんよね。こんなに情感豊かなトランペットってマイルス思い出す。しかも、それに全く頼っていなくて、トータルな音楽表現に向かってるというか、そこにこそまたもやマイルスを思い出したりする。特に大好きなエレクトリック・マイルス。アガルタ、パンゲアといった、もうマイルスでなければ表現できない到達点と同じようなものを、ここにも感じるな。これは2000年のベストなんだけど、これからちょい調べてこの人のCD聴かないとあかんやん。
 大学の時、古典派に対して、たとえ彼らが理解出来なかったとしても、カサンドラ・ウィルソンやウルマー、スティーヴ・コールマンらに夢中になって楽しんだ。今、なんか、ようやく現在進行形として、そうした楽しみを実感してる気がする。こうしたスンバラシイ音楽を紹介してくれたことに、感謝するよ、ミュージック・マガジン。
 おまけ要素だけど、50分程度で聴きやすいこともあって、もう永遠に廻してるって感じするな。止まらん。最近のものは、必ず60分超えてたし、70分以上というのも少なくない。CDで聴く、という行為を考えた時は、やはり60分以内がいいんじゃないか、と思ったりもするね。そりゃライヴだと2時間以上集中できるけどね。
20071002.jpg  ミュージック・マガジン誌2001年度ジャズ部門1位。
 デジパック仕様で、デザイン手触りが元クラフトワークの人が出した奴に似てるなあ、なんて思ってたら、内容も結構似た所あったりして。YMOで言うと、カタカナで書くとあんまりなタイトルだけど「technodon」だね。1曲目CAHNGE、5曲目のMOVINGなんてモロそんな感じ。そいえば3曲目の曲名はYELLOW IS THE COLOURだ。こっちはジャズらしい雰囲気なんだけど、肌触りにちょい感じるところはあるね。あっそだ。フェイドアウトは止めてよ〜っ。
 一番のお気に入りは4曲目のLONE。美しくちょい牧歌的な雰囲気もあるピアノを聴いてニヤニヤしてると始まる。いや、このピアノ、ブッゲ・ヴェッセルトフトと、知ってると通ぶれるようなややこしい読み方なんだけど、最高だね〜。
 ミュージック・マガジン誌選定は、マーク・ラパポートさんと松尾史朗さん、この年は松永記代美さんも加わってるけど、伝統的なジャズを回顧するのではあく、あくまで現代指向、未来志向なんで、ツライところある場合もある。
 でもこんな、普通のジャズ本や雑誌読んでると(って全然読んでないが)、あまりひっかからない、そんでこんな素晴らしい音楽を提示してくれるので、堪らないわ。も少し遡ろう。
20071001.jpg  ミュージック・マガジン誌が選んだ2002年度のジャズ部門1位アルバム。うーむ。
 確かに実はワタクシ、ジャズボーカル、という分野が苦手である。歌ものは普通のポップスとかロックで楽しいし、それとジャズボーカルという分野との違いも良く分かっとらん。単にジャズをバックにしたらジャズボーカルなのかな?
 などというボーカル無知のワタクシに、この前衛ボーカルアルバム。うむ。どこをどう楽しめばいいのかワカランのよね、これは。 って別にボーカルを楽しめなければ音を楽しめばよろしいのであって、勝手に楽しめばよいのだ。などと考えたのだが。
 今までこれがジャズなのかって思ったアルバムって、それでもいざジャンル分けを考えた時には、やっぱりジャズしかないかなっていう感じはあった。どこにも納まらないっていうか。まあ、現代音楽ってジャンルを良く知らないんだけど、敢えて言えばそんな感じで。でも、これ、ミュージック・マガジン誌でマーク・ラバポート氏がいきなり「オルタナ・ロック・アルバム」って言ってるように、ちょい変わったロックアルバムとしか思えんのよね。
 昔、チャーリー・ワッツがジャズ・アルバム作った時、やっばりそれはロックじゃなくてジャズやったし。それと同じようにこれはロックではないのでしょうか。
 4ビートジャズで判別つかないってのと全く違う、更に困難なジャズの「香り」を嗅ぎ取る力もなくなっておるのでありましょう。トホホホ。
 

このアーカイブについて

このページには、2007年10月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2007年9月です。

次のアーカイブは2007年11月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.0