2012年3月アーカイブ

20120317.jpg 果たして。いったいいつ覚醒するのか。
我ながら、イライラしっぱなしだった。とはいえ、再開に相応しいジャズと出会わなかった。当たり前だ。ジャズそのものを聴いてなかったのであるから。
それこそ、このサイトの最初に取り上げたものあたりから。同じアルバムでもう一度記事を書こうとしたこともあった。しかし、何かが足らなかった。

 そうこうしているうちに、私が最も信頼し崇拝し瞻仰しているマーク・ラパポートさんが、ミュージック・マガジンから去った。今やさっぱり読むところのなくなったミュージック・マガジンだが、マーク・ラパポートさんの「じゃずじゃ」の2ページだけが光り輝いていたのに。
 ってのは言い過ぎか。ジャズレビューもあるしな。
 しかし、ジャズに関しては、今までで最も信頼してきたメディアではある。果たしてそれは今も続いているのであろうか。商業的な見地からだろう、強引に1月号に移して久しいミュージックマガジン恒例のベストアルバムのジャズ部門の第一位を聴いた。
  これはジャズではない。だが、これこそがジャズだ。
  蕩けていた頭をぶち壊すには十分な破壊力を持っていた。なんなんだ、こいつらは。
 ちょっとだけYMOのアフターサービスに入っている「propaganda」を思い出す出だし。じわ~、じわ~っと盛り上がってくる。おおおお~~と思っていたら、突然咆哮するサックス。ななな、なんじゃ、この音は。マッツ・グスタフソン。Mats Gustafsson.ちょっと調べてみると、このデカイことこのうえない轟音で、コップを割った、という逸話の持ち主であるらしい。おそろしい。音そのものがおそろしい。
 私の神であるコルトレーンも素晴らしい音だが、音をとことん動かす。しか、し、マッツ・グスタフソン。ここでは音をほとんど動かさない。バックの音も反復させるミニマルだが、フロントもミニマル。音。音色。鉈で切り裂くかのごとく、一音一音が襲ってくる。いや、バックだのフロントだの、そんなものはここにはない。あるのは、凶暴な修羅の場だ。ミニマルの反復感が永遠に続く覚悟を要求する。実際はそんなに長いCDではないのだが、体力の限りを奪い取られていく。心地よい疲労感などではない。ズダボロになってとにかく睡眠を取らなければ死んでしまうような恐怖にかられる。 本当に怖いのだ。
『キャッチーでモダンなミニマル・パンク』(松尾史朗/ミュージックマガジン2012年1月号35P)  
 言葉にすれば全くその通りで、音楽評論家の的確さに驚くが、実態はそんなものではない。音楽、音に対峙する姿勢に、畏怖し平伏す。
  神はまだ見捨ててなかったとすら思う。覚醒するには十二分だ。いや、それどころではなかった。あやうく永遠の眠りに落とされかけた。
 次に日本に来るのはいつだ? このモンスターは絶対に見ておかなければならん。

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